五郷
落款に自分の名前だけを書く絵師もいれば、師匠の名前まで添える絵師もいます。五郷という絵師は、その両方をやっています。同じ絵師の落款なのに、書いてある内容が一枚ごとに違う。まずその事実から見ていきます。
五郷(ごきょう)は、鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)の門人です。栄之は幕臣の出という異色の経歴を持つ細田派の祖で、五郷はその弟子の一人にあたります。作画期は天明の末から寛政のはじめ、おおよそ天明8年(1788)から寛政2年(1790)ごろまでのごく短い間とされます。生没年は分かっていません。俗名も伝わらず、「五卿」と号したとも「孟城斎」と号したとも言われますが、どちらも確定した情報ではありません。現存が知られているのは吉原の遊女を描いた大判の錦絵が中心で、点数は多くありません。
分かっていること
五郷について確かめられているのは、師系と大まかな活動時期くらいです。『原色浮世絵大百科事典』第2巻(日本浮世絵協会編、大修館書店、1982)、菊地貞夫『浮世絵大系6 歌麿/栄之』(集英社、1975)のいずれも、五郷を栄之門人の一人として扱っています。現存作の所蔵先として名前が挙がるのは、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、公益財団法人平木浮世絵財団、ベルリン東洋美術館、ブリュッセル王立美術歴史博物館、そしてシカゴ美術館です。所蔵館がこれだけ世界に散っている一方で、絵師本人についての記述は、どの資料も数行にとどまります。
落款が2通りある
五郷の落款について、通説はひとつに決まっています。『原色浮世絵大百科事典』は五郷の項に「いずれも栄之門人五郷画と落款している」と記し、日本語版ウィキペディアの記述もこれに沿っています。師匠の名を必ず添える、という説明です。
上に掲げた「丁子屋 美さ山/松葉屋 わかな」の落款を実際に拡大して読むと、たしかに通説どおりでした。左の紙の右下、右の紙の左下、それぞれの余白に「栄之門人」「五郷画」の二行が入っています。しかも同じ形の落款が、左右の紙にそれぞれ独立して彫られている。二枚続でありながら、律儀に両方へ署名を入れているわけです。シカゴ美術館の記録も"Sign: Eishi monjin Gokyo ga"と、この読みをそのまま裏づけています。
ところが、同じシカゴ美術館が公開しているもう一点を見ると、様子が変わります。
この一枚の落款は、画面右下の細い余白に三文字だけ。「五郷画」です。「栄之門人」の四文字は、どこにもありません。四隅も縁も確かめましたが、見落としではなく、最初から彫られていないと考えるのが自然です。シカゴ美術館の記録でも、この一枚については落款の記載欄が空欄になっています。
「いずれも栄之門人五郷画と落款している」という通説は、この一点だけで成り立たなくなります。ただし、断定できることとできないことは分けておきます。「玉屋うち 小紫」は、シカゴ美術館の判型記録で「大判二枚続または三枚続の右の一紙」とされています。つまり、対になる紙が失われている可能性がある構図です。もしその紙が残っていれば、そこに「栄之門人」の四文字が入っていたかもしれません。そうであった可能性はありますが、そうに違いないとまでは言えません。今はっきり言えるのは、現物として今この目で見られる二点のうち、一点には師匠の名があり、一点には無い、という事実だけです。
師匠の絵と並べてみる
師匠の栄之自身が描いた一枚と並べると、型の近さがよく分かります。
遊女の道中を横から見る、という構図の型そのものは、師弟でほとんど同じです。人物の並べ方、振り返る角度、裾の流れ方まで近い。栄之のこの一枚には画面右上に枠で囲まれた題箋があり、「青楼江戸紫」の題と「丁子屋内 ひなづる」の文字が読めます。落款は画面右下、「鳥文斎栄之画」の六文字です。五郷の「玉屋うち 小紫」の題が、枠なしで直接書き込まれているのとは、この点がまず違います。
背景の扱いも対照的でした。五郷の「玉屋うち 小紫」には、松、竹、注連縄を巻いた柱、垣根、桶と、場所を思わせる小道具が画面の四隅まで描き込まれています。栄之の「丁子屋内 ひなづる」は、これに比べると背景がほとんどありません。人物の輪郭と着物の柄だけで画面を持たせています。この二点を並べた範囲での話ですが、同じ「道中」という主題でも、背景をどこまで描き込むかは絵師によって、あるいは一枚ごとに、かなり違っていたようです。
分からないこと
五郷については、分からないことのほうが多く残っています。生没年、俗名、正確な号——「五卿」「孟城斎」のどちらを名乗ったのか、あるいは両方使ったのかも、資料によって書き方が揺れます。天明の末から寛政のはじめという短い期間で作画をやめた理由も、伝わっていません。「現存は◯種」という数え方を資料で見かけることがありますが、二枚続を一点と数えるか二点と数えるかで結果が変わるため、ここでは具体的な総数を書きません。知られている作品は、多くはないということだけ確かです。
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