浮世絵展を見るうえでのポイント

浮世絵展は、なんとなく足を運んでも十分楽しめます。ただ、いくつかのことを知って行くだけで、同じ1時間の滞在が別物になります。展示替えの仕組みから、会場でしか見えないもの、単眼鏡の話まで、行く前に頭に入れておきたいことをまとめました。

行く前に——出品リストは見ましたか

目当ての一枚を見に行ったら、会場になかった。浮世絵展にはよくある話です。図録の表紙になっていた絵が、実際に行った日には展示されていない。それが普通に起こるジャンルなのです。

理由は単純です。浮世絵は紙と顔料でできた版画だから。油絵のようなニスの層はありません。紙に染み込んだ色が、そのまま光にさらされ続けるだけです。展示室の照明を浴び続ければ、数週間単位で退色が進んでしまいます。だから多くの美術館は会期を前期・後期(時に三期・四期)に分け、出品作の多くを丸ごと入れ替えます。前期に行った人と後期に行った人は、実はほとんど違う絵を見ている——それくらい別物になります。

お目当ての絵がある場合は、行く前に公式サイトの出品リスト(たいていPDF)を確認する癖をつけておくと安心です。「前期のみ展示」といった注記が絵ごとに付いているので、そこだけ拾い読みすればすみます。何も調べずに行って違う一枚と出会う、それはそれで浮世絵展らしい面白さでもありますが、確実に見たいなら一手間かける価値はあります。

展示替えが頻繁なのは、浮世絵の保存上の宿命です。同じ版画でも、常設で展示され続ける油絵や、堅牢な工芸品とは扱いがまったく違います。「この美術館、ちょっと来るたびに展示が変わっていて忙しないな」と感じたら、それは手抜きではありません。むしろ作品を守るための良心的な運営です。

会場でしか分からない、5つの見どころ

図録やスマホの画像がどれだけ高精細でも、印刷や液晶に変換された時点で消える情報があります。浮世絵は平面の絵であると同時に、紙に凹凸や光沢を刻み込んだ立体的な工芸品でもあるからです。会場では次の5つを意識してみてください。

① 摺りの凹凸

空摺・きめ出し。斜めから見て初めて模様が浮かび上がる

② 雲母摺の輝き

雲母の粉が光を返す。見る位置を左右に動かして確認する

③ ぼかし

空や水面のグラデーション。色の境目のにじみは実物だけ

④ 紙の質感と大きさ

大判はおよそ39×26.5cm。厚みや繊維のむらも実物の情報

⑤ 続絵のつながり

複数枚並んで初めて、視線や構図のつながりが見えてくる

会場ではこの5つを意識してみてください。それぞれの詳しい見方は以下で一つずつ。

① 摺りの凹凸(空摺・きめ出し)は斜めから

絵具を付けずに版木を強く押し当て、紙に模様の凹凸だけを刻む技法を空摺(からずり)と呼びます。着物の柄や波頭の細部などに使われることが多く、正面から見ているだけでは気づきません。照明の光を受ける角度が変わる位置——つまり絵に対して斜めに立ったとき——に、紙面がふっと浮かび上がって模様が見えます。これは写真や画面では絶対に再現できない、実物だけの体験です。

正面から見ると 見えない 凹凸が紙の色にまぎれる 斜めから見ると 見える 陰影が浮かび上がる
空摺(からずり)は絵具を使わず、版木の圧力だけで紙に凹凸をつける技法です。正面から見ても紙の色にまぎれて分かりませんが、斜めから光を受ける角度に立つと、凹凸が陰影として浮かび上がります。

② 雲母摺の輝き

背景に雲母(きら)の粉を摺り込んで、きらきらとした光沢を出す技法が雲母摺(きらずり)です。写楽の役者絵の黒い背景などが有名ですが、図録では単なる「黒背景」にしか見えません。会場で見る位置を左右に少し動かすと、黒の中に光の粒がちらちらと動くのが分かります。

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」。両手を突き出した歌舞伎役者の迫力ある大首絵。背景は黒雲母摺
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」寛政6年(1794)。役者の背後を覆う黒は、ただの墨ではありません。雲母粉を摺り込んだ黒雲母摺です。図録では均一な黒にしか見えませんが、会場で角度を変えると光を返します。 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

雲母摺には実はもう一種類あります。写楽の役者絵のように地を黒く摺ってから雲母を乗せる黒雲母摺(くろきらずり)と、地色を刷らずに雲母だけを一面へ摺り込む白雲母摺(しろきらずり)です。見え方も別物です。会場では絵から70cm〜1mほどの位置に立ち、顔の高さを絵の中心に合わせたまま、体ごと半歩ずつ左右にずらしてみてください。正面では気づかなかった粒立った光が、動くたびに面の上を走るのが分かります。

黒雲母摺(くろきらずり) 黒地の上に、光の粒が浮かぶ 写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」寛政6年(1794) 白雲母摺(しろきらずり) 地色そのものが、面ごときらめく 歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」寛政4〜5年(1792〜93)頃 ——体を左右に半歩ずらすたび、粒の輝きが動きます
雲母摺には、黒地の上に粉を光らせる黒雲母摺と、地色そのものを雲母で覆う白雲母摺があります。写楽の役者絵は前者の代表例、歌麿「婦人相学十躰」中の「浮気之相」は後者の代表例です。図録の写真ではどちらも均一な色面にしか写りませんが、実物では見る位置を変えるたびに粒立った光が動きます。

③ ぼかしのグラデーション

空や水面の色が滑らかに変化していくぼかしは、版木を湿らせながら摺師が手作業で作る表現です。同じ版木から摺られた絵でも、ぼかしの具合は1枚1枚微妙に違います。会場で顔を近づけると、色の境目に紙の繊維がにじんだような柔らかさが見え、印刷物のグラデーションとは質感がまったく違うことが分かります。

歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」。夕立の中、大橋を渡る人々を描いた縦長の構図。空と川面がぼかしで表現されている
歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」安政4年(1857)。暗くぼかされた空と川面は、摺師が版木を湿らせながら加減した手仕事です。図版で見ると平坦な暗さに見えますが、実物には濃淡の揺らぎがあります。 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

④ 紙の質感と大きさの実感

浮世絵のいちばん標準的なサイズ「大判」は、およそ39×26.5cm。B4用紙より少し縦長という程度の大きさで、画集で大きく紙面いっぱいに印刷されたものを見慣れていると、初めて実物の前に立ったとき「思ったより小さい」と拍子抜けする人が多いはずです。和紙特有のわずかな厚みや繊維のむら、経年による黄ばみの具合も、実物ならではの情報です。

大判 1枚
約26.5×39cm
三枚続 3枚
横に並べると約80×39cm

同一縮尺(1mm=0.4px)で並べた比較。大判1枚は両手のひらに収まる程度、B4よりひとまわり小さい紙です。ところが役者絵や合戦図の三枚続は、横に並べると幅80cm近い一続きの画面になります。「思ったより小さい」と「思ったより大きい」が、同じ浮世絵という言葉の中に同居しています。

⑤ 続絵のつながり

役者の舞台場面や合戦図でよく使われる三枚続のような続絵は、1枚ずつバラバラに画像で見ると単なる寄せ集めの構図に見えます。上のサイズ比較のとおり、3枚並べると横幅は80cm近くにもなり、大判1枚を見ていたときとは体感がまるで違います。会場で3枚並んで展示されているのを目の前にすると、視線や構図が3枚をまたいでつながり、1つの大きな画面として設計されていたことに気づきます。この「つながって初めて完成する」感覚は、続絵を分割して掲載する図録やウェブでは味わいにくいものです。

ガラス越しの展示でも空摺は見つけられます。コツは自分が動くことです。展示ケースの前で立ち止まらず、絵に対して少しずつ体を左右にずらしながら見ると、照明の反射が動くのと同時に、紙面の凹凸だけがふっと白く浮いて見える瞬間があります。連れがいるなら、先にこれを教えてから会場に入ると喜ばれます。

初摺と後摺で印象が別物、という視点を持つと2倍楽しい

浮世絵は版木を彫り直さない限り、同じ版木から何百枚も摺られます。版木は木ですから、使うほど摩耗する。絵師の監修が効いている初期の摺り(初摺)は色数もぼかしも指示どおり丁寧なのに対し、後から摺られたもの(後摺)は色数が省略され、線もやや甘くなることがあります。同じ図柄でも、初摺と後摺では受ける印象がまるで違う一枚があるのです。

展示のキャプションに「初摺」「後摺」といった表記があれば、今見ている絵がその作品の一生のどの段階の摺りかを教えてくれるヒントです。「これは後摺だから、初摺はもっと色が濃かったはずだ」と想像しながら見ると、1枚の絵の情報量が急に増えます。この話の続きは「同じ絵なのに値段が違う理由」で詳しく扱っています。視点があるかないかで、展示室での見え方が変わる。それだけ覚えておいてください。

江戸時代のキャプション代わりに絵自体に刻まれているのが改印です。幕府の検閲を通った証として押される小さな印で、その形式は時期によって変わるため、絵の制作年を絞り込む手がかりになります。展示ラベルの「制作年」がやけに具体的なのは、たいていこの改印の解読によるものです。

単眼鏡(ギャラリースコープ)があると世界が変わる

ここまで挙げた空摺の凹凸も、雲母の輝きも、肉眼だけで十分楽しめます。ただ、道具を一つ足すとしたら、美術鑑賞用の単眼鏡(ギャラリースコープとも呼ばれます)を強くすすめます。倍率は4〜6倍程度、20cm前後の近距離でもピントが合うタイプを選べば、展示ケース越しでも十分使えます。値段も数千円台からあります。

これを覗いた瞬間の印象は、肉眼の延長というより「別の絵を見ている」に近いです。毛割と呼ばれる髪の毛一本一本の彫りの精度、雲母の粒子のきらめきまで驚くほどはっきり見えます。夢中になるとガラスに顔が近づきすぎるので、そこだけはご注意を。持ち込みの可否は館によって違うので、心配なら受付で一言確認してから使うのが安全です。

おわりに

展示替えを把握して行く、会場でしか見えないものを意識して見る、初摺と後摺という視点を持つ、単眼鏡を持っていく。この4つを知っているだけで、浮世絵展はただ「有名な絵を見に行く場所」から、「1枚の紙に仕込まれた仕事を発見しに行く場所」に変わります。次に展示室に立ったときは、少し斜めから眺めてみてください。見え方が変わります。

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