一度は勉強しておくべき必見浮世絵BEST10

役者絵、美人画、名所絵、武者絵、肉筆画——ジャンルの壁を全部取り払って、「これだけ見ておけば浮世絵を語れる」10作品を順位付きで選びました。網羅辞典ではありません、一人の愛好家の言い切りです。

当サイトには絵師を10人選んだ「最初の10人」という記事があります。あちらは「人」、こちらは「作品」。同じ絵師の名前が重なることもありますが、見ている軸が違います。基準はひとつ、1点1点の作品としての強さだけです。

順位はもちろん私見です。研究者の間でも評価は割れますし、明日には順番を入れ替えたくなるかもしれません。それでも、順位を付けずに「みんな素晴らしい」で終わらせるのは逃げだと思っています。だから今日の時点での結論を、堂々と言い切ります。

第1位 神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景)——葛飾北斎

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。巨大な波の向こうに富士山が見える
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」天保元〜4年(1830〜33)頃 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

迷わず1位です。波の爪のような飛沫、遠景に小さく沈む富士山、荒れる海に浮かぶ舟人たちの緊張。構図の完成度でこれを超える浮世絵に、まだ出会っていません。世界でいちばん複製された日本の絵という事実こそ、この絵の強さの証明です。メトロポリタン美術館、大英博物館、すみだ北斎美術館——世界中の主要な浮世絵コレクションで見られます。

波の「爪」と、消えかけの富士——画面のどこを見ればいいのか

「波の爪」と言っても伝わりにくいので、画面の指し示しどころを言葉にしておきます。波の先端は一本の線ではありません。いくつもの小さな鉤爪状の飛沫に枝分かれし、その先端にさらに小さな飛沫が生えている。大きな波の形を、縮小した同じ形が幾重にも取り巻いている、この自己相似的な繰り返しが、静止した版画のはずのこの絵に「まだ動いている」という緊張感を与えています。そして富士山は、波と波のあいだにできたわずかな谷間に、驚くほど小さく押し込められています。波を主役に立てるために、日本でいちばん高い山をわざと脇役に落とす。この大胆な力関係の逆転こそが、構図としての「神奈川沖浪裏」の正体だと思います。

波の先端はくり返す 大きな鉤爪の先に、同じ形の 小さな鉤爪が幾重にも現れる 波と富士、画面の中の大きさ 富士山 実景よりずっと縮めて描かれた富士山
北斎は波の先端に自己相似的な小さな波頭を連ねて画面に動きを与え、主役の富士山はあえて画面の中で縮めて描いています。この縮尺で富士山が見えることは実際にはありません。構図上の演出です。

波に揉まれる3艘の小舟も見どころです。これは活魚を江戸・日本橋の魚河岸へ急いで運んだ高速船「押送船(おしおくりぶね)」で、船ごとに8人の漕ぎ手が乗り、画面全体ではおよそ30人の人間が波間に描き込まれています。船人の誰ひとり波と戦う姿では描かれていません。ただ身を縮め、通り過ぎるのを待っている。自然の前での人間の無力さを、これほど的確に描いた構図はそうそうありません。空の藍もこの絵の要です。北斎はこのシリーズで、当時輸入されたばかりの化学顔料「ベロ藍(プロシアンブルー)」を大々的に使い、輪郭線までベロ藍で摺らせています。墨ではなく青で線を引かせるという指示は、当時としてはかなり思い切った判断だったはずです。

第2位 三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛——東洲斎写楽

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」。両手を突き出した歌舞伎役者の迫力ある大首絵
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」寛政6年(1794) メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

役者を美化するのが当たり前だった時代に、この顔の歪みと指の緊張を突きつけた写楽の胆力に、いつまでも圧倒されます。雲母(きら)を摺り込んだ背景がぎらつく光を放ち、役者絵の常識を一枚でひっくり返してしまった。わずか10か月で消えた絵師が、なぜこれだけの仕事を残せたのか——謎ごと必見です。東京国立博物館やメトロポリタン美術館などで見られます。

写楽が使ったのは黒く発色する「黒雲母(くろきら)」という雲母粉です。単なる背景の飾りではなく、光の当たり方で背景そのものが鈍く光る仕掛けで、役者の顔だけを大きく抜く「大首絵」に舞台のスポットライトのような効果を持ち込んでいます。もうひとつ見てほしいのが、江戸兵衛の両手です。描かれているのは、江戸兵衛が奉公人「奴一平」から金を奪おうとする場面。写楽は両手の指を不自然なまでにこわばらせて描いていて、解剖学的にはやや破綻気味なこの手が、かえって殺気を生んでいます。写楽の絵が「下手なのにうまい」と評される理由の一端は、この両手に集約されていると思います。

第3位 凱風快晴(通称・赤富士)——葛飾北斎

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」。赤く染まった富士山と青空、白いうろこ雲
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」天保元〜4年(1830〜33)頃 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

「神奈川沖浪裏」が線の絵なら、これは色面の絵です。朝焼けに染まった富士の斜面、群青の空、うろこ雲の白——輪郭線をほとんど頼らず、色の塊だけで山の量感を出し切っています。同じシリーズの中でここまで違う武器を見せられると、北斎という絵師の引き出しの多さに改めて唸らされます。すみだ北斎美術館ほか各地の北斎コレクションで見られます。

第4位 ポッピンを吹く娘(婦女人相十品)——喜多川歌麿

喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」。ガラス玩具を吹く娘を描いた美人画
喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」寛政4〜5年(1792〜93)頃 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

顔だけを大きく抜いて人物を語る「大首絵」を、美人画で完成させた1枚です。着物の柄も全身の仕草も切り捨てて、勝負は表情だけ。ガラス玩具ポッピンを吹く一瞬、伏せた目、緩んだ口元。歌麿がここで描いたのは、絵空事の美人ではありません。「この人」です。雲母摺の背景も豪華で、寛政年間の贅を尽くした技術の記録でもあります。東京国立博物館などで見られます。

第5位 相馬の古内裏——歌川国芳

歌川国芳「相馬の古内裏」。画面いっぱいに広がる巨大な骸骨の妖怪
歌川国芳「相馬の古内裏」(三枚続のうち骸骨の頭部を描いた1枚)弘化2〜3年(1845〜46)頃 ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)蔵(パブリックドメイン)

浮世絵は風景と美人だけではない、と一発で分からせてくれる1枚です。三枚続の画面いっぱいに骨だけの巨大な妖怪がのぞき込む構図は、初めて見た人を必ず驚かせます。滝夜叉姫の亡霊が呼び出した骸骨という物語も痛快で、国芳のはったりの効かせ方がこれ以上ないくらい効いています。海外の主要美術館のほか国内でも複数のコレクションで所蔵されています。

実際にどこを見ればいいか、具体的に言います。骸骨の顔の中心、黒く落ちくぼんだ眼窩の暗さと、画面下に見える御簾を突き破る肋骨のまとまりに目をやってください。骨の輪郭線だけでなく継ぎ目にわずかな陰影が入っていて、ただの白い塗りつぶしでは出せない量感が出ています。この絵の元ネタである山東京伝の読本『善知安方忠義伝』では、姫が呼び出すのは無数の等身大の骸骨の群れですが、国芳はそれを一体の巨人に置き換えました。原作にない発明のほうが原作より有名になってしまった、珍しい例です。

第6位 大はしあたけの夕立(名所江戸百景)——歌川広重

歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」。夕立の中、大橋を渡る人々を描いた縦長の構図
歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」安政4年(1857) メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

斜めに走る無数の雨線、暗くぼかされた川面、傘を差して橋を急ぐ人々——一瞬の天候を版画で止めて見せる技術に、初めて見たときから今も驚き続けています。ゴッホが油絵で模写したことでも知られ、西洋の画家たちを揺さぶった浮世絵の代表格です。江戸の日常を静かな緊張感で捉えた、広重らしさの結晶だと思います。正直に言うと、10枚の中でいちばん何度も見返しているのはこの1枚です。

橋を渡る人物は7人、誰ひとり同じ慌て方をしていません。番傘の二人組は前かがみの小走り、蓑一枚の男は裸の背中のまま全速力、天秤棒の人足は首をすくめる——広重は「夕立に驚く」という一つの出来事を、一人ひとり違う仕草に描き分けています。画面を斜めに走る雨脚もよく見ると一種類ではなく、細く速い線と、それより太くゆるやかな線の二種類が別々の版木に彫られ、重ねて摺られていることが近年の版木調査で確かめられています。定規では引けない、風にあおられる雨そのものの速さの違いです。この1枚だけをさらにじっくり読み解いた回が一枚語り 第1回にあります。

第7位 名所江戸百景(シリーズ全体として)——歌川広重

歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」。手前に大きく伸びる梅の枝越しに梅園を望む構図
歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」安政4年(1857) シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

ここは1枚ではなくシリーズ全体を7位に置きます。安政3年(1856)から広重が没する直前まで摺り継がれた全119図は、江戸という都市を丸ごと版画にアーカイブする試みでした。「大はしあたけの夕立」のような劇的な1枚だけでなく、この「亀戸梅屋舗」のような大胆な近景構図まで、119枚それぞれに違う実験があります。個人蔵から国内外の美術館まで幅広く分蔵されていますが、太田記念美術館やアダチ版画研究所の企画展で通期に近い形でまとまって見られる機会もあります。

第8位 吉原格子先之図——葛飾応為

ここから2作品は、手元に画像がありません。写真では伝わりきらない筆の質感だからこそ、言葉で描いてみたいと思って選びました。北斎の娘・応為が描いた肉筆画で、吉原の見世先を照らす行灯の明かりと、その外に広がる完全な闇との対比だけで一枚を成立させています。描いたのは、夜の絵によくある月明かりや提灯の意匠的な光ではありません。光源から離れるほど暗さが増す、物理そのものです。当時としては異様なほどリアルな明暗表現だと思います。現存作品は世界でも十数点しか確認されておらず、この1枚は応為の代表作と呼ばれています。太田記念美術館(東京・原宿)が所蔵しており、企画展で公開されることがあります。

第9位 蒲原・夜之雪(東海道五十三次)——歌川広重

広重の出世作、保永堂版「東海道五拾三次」の中でも随一の傑作とされる1枚です。実際の蒲原はほとんど雪の降らない温暖な宿場で、この絵の豪雪は広重が頭の中だけで作り上げた景色だと言われています。これは事実の風景画ではありません。静けさという感情を、雪でかたどった心象風景です。「名所絵」というジャンルの奥行きを、ここに感じます。物音の消えた夜道を行く二人の旅人の小ささが、雪の量感をなお際立たせます。静岡県立美術館や町田市立国際版画美術館など、各地の美術館に分かれて所蔵されています。

第10位 新形三十六怪撰 大森彦七——月岡芳年

月岡芳年「新形三十六怪撰 大森彦七」。夜の場面で怪異と対峙する武将を描いた一図
月岡芳年「新形三十六怪撰 大森彦七」明治22年(1889) シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

幕末の血みどろ絵で名を上げた芳年が、晩年にどれだけ静かで巧みな怪異表現にたどり着いたかを示す1枚です。この「新形三十六怪撰」と並行して手がけた「月百姿」全100図もまた、芳年最後の大仕事として外せません。恐怖に、残酷描写はいりません。構図と余白の間だけで見せています。浮世絵が明治という時代の中でどこまで成熟できたか、ひとつの到達点だと思います。シカゴ美術館のほか、太田記念美術館など国内の美術館でもまとまった数を所蔵しています。

この10作品は、あくまで筆者一人の見立てです。国貞の稼ぎっぷり、清長の伸びやかな美人画、国芳の猫絵——まだまだ紹介したい作品があります。異論は歓迎です。むしろ、この順位に反論したくなったときが、浮世絵を自分の言葉で語り始めた瞬間だと思います。

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