一枚語り 第1回 広重「大はしあたけの夕立」——突然の雨に、誰もが知っている慌て方
「一枚語り」は、週にひとつ、たった一枚の浮世絵だけをゆっくり見るための連載です。知識を増やすことより、目の前の一枚を眺める時間をつくることを目指します。トップの「今週の一枚」がここに積み重なっていきます。第1回は、歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」。
橋の上で、みんな慌てている
画面を斜めに横切るのが、隅田川にかかる新大橋です。日本橋側から深川側へ渡るこの橋の上に、人が七人。誰ひとり、のんびり歩いていません。番傘を差した二人組は前かがみで小走りになり、その先では裸の背に蓑をかけただけの男が全速力で駆け抜けていきます。天秤棒を担いだ人足は首をすくめ、川を行く小舟の船頭は竿を強く突いて岸を急ぐ。夕立が降り出した、ほんの数秒後の橋の上を、広重は切り取っています。
雨は、彫師が定規なしで彫った
画面いっぱいに斜めに走るこの雨の線、実は一種類ではありません。近年の版木調査で、細く速い雨脚と、それより太くゆるやかな雨脚——向きのわずかに違う二種類の線が、それぞれ別の版木に彫られ、重ねて摺られていることが確かめられています。定規を当てて引いた直線ではありません。彫師が刀一本で、風にあおられて向きの変わる雨そのものの速さとばらつきを彫り分けています。だから見ていると、頬に雨が当たる感覚まで伝わってくる気がするのです。
広重の雨は、一枚ごとに描き方が違う
この二種類の雨脚を彫り分ける技法は、晩年の広重がたどり着いた到達点であって、最初から持っていた技ではありません。若い頃に手がけた「東都名所 日本橋の白雨」と見比べると、その差がよく分かります。画面を上から下まで貫く雨は、ほぼ垂直な細い線一種類だけで表され、奥にかすむ富士山を含めても、線の角度や太さに変化はほとんどありません。「大はしあたけの夕立」で確かめた、速さの違う二種類の線を重ねる工夫は、まだここにはありません。同じ絵師が同じ「雨」というモチーフを、二十年以上の歳月をかけてどう描き直していったか——それだけを追いかけても、これだけの変化が見えてきます。
色を切り詰める——藍と鼠だけで雨を降らせる
この絵の色数は、驚くほど絞られています。空は上端をもっとも濃い藍にして、下にいくほど薄めていく「あてなしぼかし」。川面は輪郭のはっきりしない鼠がかった藍。橋の板と欄干は墨に近い鼠色で、人影の大半は色を持たない黒い影として処理されています。目に留まる色らしい色といえば、番傘の朱がかった茶と、蓑の枯草色くらいのものです。広重はこの最晩年のシリーズで、当時輸入されて間もない化学顔料「ベロ藍(プロシアンブルー)」を空や水に多用したことで知られていますが、この一枚ではその藍と鼠をほとんど二色で押し通しています。色を足すのではなく削ることで、雨に閉じ込められた空気そのものを画面いっぱいに満たしているわけです。
対岸は、ほとんど何も見えない
「名所絵」という言葉から、その土地の名所建築がくっきり描かれている絵を思い浮かべるかもしれません。ですがこの一枚の対岸は、雨に霞んでほとんど見えません。目を凝らしてようやく分かるのは、川舟をしまう船蔵らしき屋根の輪郭と、火の見櫓とおぼしき細い柱が1本、雨の向こうに薄く浮かんでいる程度です。名所を克明に描くという定石を、広重はこの絵ではあえて捨てています。見せたいのは土地の姿形ではなく、視界そのものを奪う夕立の勢いだったのだと思います。
百十九枚のなかの、これだけ違う一枚
「名所江戸百景」は全部で119枚。広重は晩年の3年間、江戸のあらゆる季節と天気をこのシリーズに詰め込みました。同じシリーズの他の図と並べると、「大はしあたけの夕立」がどれだけ思い切った一枚かが分かります。
たとえば「浅草金龍山」。見上げるほど大きな提灯と雷門、遠くの五重塔まで、名所そのものをこれでもかと画面に詰め込んでいます。名所絵として、こちらのほうがずっと「普通」のふるまいです。あたけの絵はその普通を、あえて崩している一枚だということが、並べてみるとよく分かります。
季節を変えると、天候の描き方そのものも変わります。「びくにはし雪中」は、夕立ではなく雪の晩です。空を彩るのは、藍一色の夜空に散らした無数の白い点だけ。斜めに走る線で表される雨と、点を散らして表される雪と——同じ広重が、同じ「目に見えない天候をどう紙の上に定着させるか」という課題に、まったく違う道具立てで挑んでいたことが分かります。
「あたけ」という地名の記憶
タイトルにある「あたけ」は、その霞んだ対岸に見える一帯の通称です。江戸時代、ここには幕府が所有した史上最大級の御座船「安宅丸」が、あまりに巨大で動かせないまま何十年も係留されていました。船はとうに解体されても、「あたけ」という呼び名だけが地名として居座り続けた。橋の正式名は新大橋なのに、広重はあえて「あたけ」を画題に選んでいます。消えてしまった巨船の記憶ごと、この一枚に刷り込んだのだと思うと、ただの地名がにわかに重く感じられます。版元は魚屋栄吉、安政4年(1857)9月の改印を受けて世に出ました。
遠い国の画家が、この絵を写した
広重が最晩年に手がけたこの一枚は、その後、思わぬ形で世界に飛び火します。オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホが、パリで手に入れたこの絵を油絵でそっくり模写したのです。橋の位置も雨脚も人影も広重の構図のまま、色だけを自分の激しい絵具に置き換え、まわりの余白には漢字らしき文字まで書き足しました。地球の裏側にいた画家が、江戸の夕立に自分の筆で降り込んだ——そう考えると、この一枚がまだ持っている力の強さに、あらためて驚かされます。
広重が描いたのは、今からおよそ170年前の雨です。それでも、傘を差して小走りになる姿も、頭から何かをかぶって突っ切る姿も、今日どこかの交差点で見かけた誰かと重なりませんか。天気予報もビニール傘もなかった江戸の人たちが、降り出した雨にした慌て方は、今日わたしたちがする慌て方と、きっとそう変わりません。時間がどれだけ流れても、雨に濡れたくない気持ちだけは、少しも古びていないのです。