摺り比べ 第6回 甲州石班沢——藍だけの一枚と、色をのせた一枚

これまでの5回は、同じ配色をいつどう摺ったかの差を見てきました。今回は前提が違います。色の指定そのものが二通りある一枚です。

一枚目は、全部が藍です

葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州石班沢」。岩の先に立つ漁師が投網の綱を張り、足もとに子どもがうずくまる。奥に富士。空も水も岩も衣も、すべて藍の濃淡だけで摺られている
葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州石班沢」天保元〜4年(1830〜33)頃。題箋にも署名「前北斎為一筆」にも色の違いはなく、画面のすべてが藍の濃淡で成り立っています。 シカゴ美術館蔵(クラレンス・バッキンガム・コレクション、CC0 / パブリックドメイン)

『冨嶽三十六景』のうち、こうして藍を主体に摺られた図は十点ほどあるとされます。甲州石班沢はその代表格で、太田記念美術館の日野原健司は、この図はもともと藍一色で摺る絵として企画され、あとの摺りで色がついた、という整理をしています。

藍だけと言っても、単調ではありません。空の上端は濃く、下へ抜けていく。水の帯は薄く、岩は濃い。富士は、頂の岩肌が濃く、そこから山肌へ淡い藍がぼかされ、裾のほうは紙の色に戻ります。版木・紙・顔料の回で書いたベロ藍という輸入顔料が、この濃淡の幅を作っています。

二枚目には、緑と赤茶と橙が入ります

同じ図柄のもう一枚。岩が緑から黄緑へぼかされ、漁師と子どもの胴着が赤茶。空の上端は濃紺で、その下に橙の帯が横に走る
同図の別の一枚。岩が緑、人物の衣が赤茶、空は濃紺と橙の二段になります。線は同じ版木から出ています。 シカゴ美術館蔵(クラレンス・バッキンガム・コレクション、CC0 / パブリックドメイン)

同じ絵とは思えない、というのが正直な感想です。特に岩。藍の一枚では冷たい岩塊にしか見えないものが、緑になったとたん、草の生えた土手に変わります。

富士の頭が、片方だけ塗ってあります

藍摺の一枚の富士の部分。山頂の岩肌が濃い藍で塗りつぶされ、そこから山肌へ淡い藍がぼかされている。空の上端は薄い水色の帯
藍の一枚。山頂が濃い藍で埋まっています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
多色の一枚の同じ部分。山頂は白いまま輪郭線だけで、火口のくぼみが細い線で示される。空の上端は濃紺、その下に橙の帯
色の入った一枚。同じ場所が白く抜けています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

ここがいちばん分かりやすい違いです。藍の一枚では、富士の頂の岩がむき出しになった部分が濃い藍でべったり塗られていて、遠くからでも黒い冠に見える。色の入った一枚では、そこが白いまま残り、火口のくぼみを示す細い線だけが乗っています。

空も別物です。藍のほうは薄い水色の帯が一本。色のほうは濃紺の厚い帯の下に橙が敷かれ、朝の空になっています。この橙は題箋の裏まで回り込んでいて、絵の外枠に近い部分まで色版が届いているのが分かります。

岩の色が変わると、季節まで変わります

藍摺の一枚の岩肌の拡大。岩の凹凸を表す細かい線と点だけが藍で摺られ、線と線のあいだは紙の生成りのまま
藍の一枚。線のあいだは紙の色のままです。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
多色の一枚の同じ岩肌。同じ線の上に緑がかぶさり、左下は黄緑、右へ行くほど青緑に変わっていく
色の入った一枚。同じ線に緑が乗り、左下から右へ黄緑が青緑へ移ります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

線は完全に同じです。小さな草を示す点の位置も、岩の割れ目の向きも、一本ずつ重なる。その上に緑の版が一枚足されただけで、乾いた岩が湿った土手になります。

しかも緑は平らに置かれていません。左下が黄緑、右へ行くほど青緑へ寄っていく。摺師が版木の上で顔料を拭き分けています。手間としては、藍の一枚とは別の絵を作っているのに近い。

漁師の胴着が、藍から赤茶へ

藍摺の一枚の人物部分。立つ漁師の胴着も脚絆も濃い藍、腰の蓑は紙の色、うずくまる子どもの上半身も藍
藍の一枚。二人とも衣が藍です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
多色の一枚の同じ部分。立つ漁師の胴着が赤茶、脚絆は灰青、うずくまる子どもの上着も赤茶で、頭には灰色の被り物
色の入った一枚。二人の胴着が赤茶になります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

藍の一枚では、漁師の胴着も脚絆も同じ藍で、遠目には黒い塊です。色の入った一枚では、胴着が赤茶、脚絆が灰青に分かれ、体の向きが読み取りやすくなりました。うずくまる子どもも、上着の赤茶と頭の灰色に分かれます。

足もとの水にも差があります。藍の一枚の水の帯は細く薄い。色の一枚では同じ帯が太く濃い藍で埋まり、岩と水の境がはっきりします。版は同じで、置く色の濃さが違うということです。

「天保の改革で色が制限されたから藍摺」は、年が合いません

藍摺について、幕府が色数を制限したせいで流行した、という説明を見かけます。これは調べていて引っかかりました。

『冨嶽三十六景』が出たのは天保元年から4年(1830〜33)頃です。色数の制限で知られる天保の改革は天保12年から14年(1841〜43)で、十年ほど後になります。この絵が改革を理由に藍で摺られたということは、順番として成り立ちません。

調べてみると、この点はすでに整理が割れていました。日本語で読める解説にはこの説を採るものがあり、英語の側では、Amy Reigle Newland が編んだ浮世絵事典(2005)を根拠に、天保の改革が藍摺を促したという説はもはや広く受け入れられていない、と書かれています。どちらの原典にも当たれていないので判定はしませんが、少なくとも甲州石班沢に関しては、年の並びのほうを信じるべきだと思います。

この連載は2枚の優劣を決めるためのものではありません。掲載順にも意味はありません。今回の2枚は、摺りの早さの差として並べたのではなく、色の指定そのものが違うものとして並べています。藍が先で色が後という順序は、太田記念美術館の日野原健司による整理に依っています。改印は両館の記録からは確認できませんでした。版元を西村屋与八(永寿堂)とする資料は複数ありますが、シカゴ美術館の記録には版元の記載がありません。

石班沢は、いま鰍沢と書きます

読みは「こうしゅうかじかざわ」。甲斐国の鰍沢、現在の山梨県富士川町のあたりで、釜無川と笛吹川が合流して富士川になる地点の近くです。

字が二通りあるのは、魚の名前が入れ替わったせいだとされます。「石班魚」はウグイのこと、「鰍」はカジカのこと。別の魚なのに、地名の表記としては両方が使われてきました。北斎の題箋は「石班澤」のほうです。

絵に描かれているのも漁の場面で、岩の先に立った男が投網の綱を四方へ張っています。富士がある側は静かで、手前は波が砕けている。冨嶽三十六景の全図一覧を眺めると、この絵が「富士を遠くに置いて、手前の生活を大きく描く」型の代表であることが分かります。

初摺と後摺の話と、混ぜないために

浮世絵は初摺がだいたい二百枚、売れれば増刷され、当たった図は七、八千枚まで摺られたと伝わります。摺りを重ねると版木がすり減り、細い線がかすれ、ぼかしの入れ方も変わる。第1回から見てきたのは、主にこの軸の差でした。

藍摺と多色摺は、本来これとは別の軸です。摺りの早い遅いを言っているのではなく、最初にどんな色で摺るかという設計の話だからです。ただし甲州石班沢では、藍が先で色が後という順序がそのまま初摺と後摺に重なっている、と説明されます。二つの軸がたまたま揃っている図なので、一般化はしないほうが安全です。

この図の富士は、輪郭がまっすぐな二等辺三角形に近く、実際の姿よりかなり細く尖っています。同じ『冨嶽三十六景』でも、山の形は図によってずいぶん違う。北斎にとっての富士は、写生の対象というより、画面を締めるための形だったのだと思います。

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