摺り比べ 第5回 東京高輪鉄道蒸気車走行之全図——明治の赤だけが残る
今回は明治の一枚です。紙の焼け方も、切られ方も違う二枚。それでも客車の赤だけは、どちらも同じ強さで残っています。
開業したばかりの鉄道を、三枚続で
新橋と横浜のあいだに鉄道が開業したのが明治5年(1872)。高輪のあたりは陸に線路を敷く土地がなく、海の上に石垣の築堤を築いて線路を通しました。この絵に描かれている、水の上をまっすぐ延びる石積みがそれです。開化絵の回で書いたとおり、絵師にとって汽車は見たことのない乗り物でしたが、ここでは客車を横一列に並べる描き方で、車両の形をとにかく全部見せにきています。
おもしろいことに、この二枚は所蔵館の記録でも制作年の書き方が揃っていません。同じ館の同じ図柄で、片方は明治6年頃、片方は別の年が記されています。描かれているのが開業後の高輪築堤である以上、明治5年より前ということはない——そのくらいの押さえ方が、今のところ安全だと思います。
二枚目は、耳が残っている
まず、絵の外側から違います。一枚目は三枚がぴったり接していて、余白がありません。二枚目は各紙の左右に白い縁が残っていて、紙の端が波打っているのまで見える。切られた浮世絵、切られていない浮世絵で書いた耳の有無が、この二枚ではっきり分かれています。
耳が残っていると、上端の藍の帯もまるごと見えます。一枚目では、この帯が画面の際で切れていて、細い線としてしか残っていない。同じ版木から出た絵なのに、空の上の一センチが片方にはあって片方にはない。
白の色が違う
並べて驚くのは、変わっているのが色ではなく紙だということです。二枚目は空だけでなく、雲も、松の幹の隙間も、人の顔も、全部が飴色に沈んでいる。紙そのものが焼けているので、白い部分が白くない。一枚目は同じ場所が生成りに近く保たれています。
その差のせいで、上に乗っている色の見え方も変わります。二枚目の題箋の朱枠がやけにくっきりして見えるのは、朱が濃くなったからではなく、周りが沈んだからでしょう。逆に一枚目の紅の帯が鮮やかなのは、白い紙の上に乗っているからです。展示替えと退色で書いたのは色料が抜けていく話でしたが、紙のほうが焼けても、絵の印象はこれだけ動きます。
赤だけが、どちらも強い
紙がこれだけ焼けているのに、客車の赤は二枚でほとんど同じ強さを保っています。動いているのは緑のほうで、二枚目は黄みに寄っている。第4回の亀戸梅屋舗では、江戸の紅花の紅が空から丸ごと抜けていました。明治の赤は、そうならない。
輸入されたアニリン系の染料は、江戸の紅と違って光にかなり強い色です。明治の浮世絵史でも書いたとおり、明治の錦絵が今の目に「けばけばしい」と映るのは、当時の派手さがそのまま保存されているからでもあります。褪せて落ち着いた江戸の錦絵と並べれば、そりゃ浮きます。
もっとも、この二枚の差が全部そこから来ていると言い切るつもりはありません。摺りの時期の違いも、絵具の調合の違いもありえます。私にできるのは、赤は動かず緑と紙が動いた、と見えたままを書くところまでです。
明治ものを写真で買うとき
この二枚を並べて実感するのは、写真の色があてにならないということです。同じ版木、同じ図柄で、ここまで違う。通販の写真一枚から「退色している」「状態がいい」を判断するのは、かなり無理があります。
見るべきは、色より紙のほうかもしれません。耳が残っているか、縁が切られているか、紙が焼けているか。そこは写真でも比較的読み取れます。値段の考え方は同じ絵なのに値段が違う理由に、明治ものが狙いやすい理由は手を出しやすい浮世絵にまとめました。三枚続を買うなら、額の内寸を先に測っておいてください。実寸は判型早見表にあります。
つづけて読む
- 摺り比べ 第4回 亀戸梅屋舗 — こちらは江戸の紅が丸ごと抜けた回
- 摺り比べ 第6回 甲州石班沢 — 藍だけで摺った一枚と、色をのせた一枚
- 明治の浮世絵 第2回 開化絵 — 汽車を横一列に並べる描き方の話
- 切られた浮世絵、切られていない浮世絵 — 耳が残るということ
- 摺り比べ 第1回 神奈川沖浪裏 — 連載の出発点