摺り比べ 第7回 三島 朝霧——霧の色が違う

霧を描いた絵は、摺師の腕がいちばん出ます。同じ版木から出た二枚を並べたら、片方の霧は灰色で、もう片方は青緑でした。

一枚目、灰色の霧

歌川広重「東海道五拾三次之内 三島 朝霧」。手前に駕籠を担ぐ人足と馬に乗った旅人。奥の鳥居・石灯籠・木立は灰色のシルエットで霧に沈み、左には輪郭だけの旅人が三人。空の上端に濃い藍の帯
歌川広重「東海道五拾三次之内 三島 朝霧」天保4〜5年(1833〜34)頃。上端の藍の帯から下は紙の白で、そこに灰色の遠景が浮かんでいます。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

三島宿の朝です。手前で駕籠が担がれ、馬に乗った旅人が通り、その向こうに三嶋大社の鳥居と石灯籠が並んでいる。ただし奥のものは、輪郭だけで中身がありません。

二枚目、青い霧

同じ図柄のもう一枚。空も地面も青緑に染まり、奥の鳥居・石灯籠・木立は鮮やかな青緑のシルエット。左の旅人三人も青緑で、輪郭がさらに薄い
同図の別の一枚。空の上端から地面まで、画面全体に青緑が敷かれています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

並べた瞬間、時間が変わったように見えました。一枚目は白い朝の霧です。二枚目は、まだ日が昇りきる前の青い空気に見える。

空の作り方が違います

一枚目の上部の拡大。画面の上端に濃い藍の帯が横に走り、その下端で急にぼけて白い紙になる。題箋は赤で「三島 朝霧」
一枚目。藍の帯が終わると、すぐ紙の白になります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
二枚目の同じ範囲の拡大。上端が濃い青緑で、そこから下へゆっくり薄くなり、白い部分が現れないまま霧の面につながる
二枚目。青緑が下まで続いて、白い部分がありません。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

一枚目の空は、上端に藍を細く帯で置いて、そこで切っています。帯の下は摺っていない紙です。二枚目は上端の青緑がずるずると下まで伸びて、どこで終わったのか分からないまま霧の面に溶けていく。

ぼかしをどこで止めるか。版木には目印がありません。馬連を当てる強さと、水の含ませ方で決まります。第1回で空の色を見比べたときと同じで、空はいちばん摺師の裁量が大きい部分です。

鳥居と灯籠の色

一枚目の右側の拡大。鳥居と二基の石灯籠と奥の柵が、くすんだ灰青のシルエットで摺られ、手前の杉は黒に近い墨で描かれている
一枚目。鳥居も灯籠も柵も、くすんだ灰青です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
二枚目の同じ範囲の拡大。同じ鳥居・灯籠・柵が鮮やかな青緑で摺られ、地の紙も薄い青緑に染まっている
二枚目。同じ形が、はっきりした青緑になります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

形はぴったり同じです。鳥居の笠木の反りも、灯籠の笠のかたちも、奥の柵の縦線の本数も、重ねたら一本ずれません。違うのは、そこに置かれた色だけ。

この違いが効くのは、遠景が「霧に沈んだ景色」なのか「青い光の中の景色」なのかを決めてしまうからです。一枚目の灰青は、物が見えにくくなっている感じがする。二枚目の青緑は、物ははっきり見えているのに空気が青い、という感じがします。同じ紙のはずなのに、天気の説明が変わってしまう。

消えていく旅人

一枚目の左下の拡大。灰色で摺られた旅人が三人、笠と杖と荷物の形まで読み取れる。右に馬の後脚が灰褐色で、その毛の線が見える
一枚目。三人の笠も杖も荷物も、形が読み取れます。馬の後脚には灰褐色が乗っています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
二枚目の同じ範囲の拡大。旅人三人は淡い青緑の平らな影になり、荷物や杖の区別がつきにくい。馬の後脚は色が乗らず紙の色のまま
二枚目。三人は青緑の平らな影になり、馬の後脚は紙の色のままです。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

左端の旅人三人は、どちらの摺りでも霧に半分消えています。ただし消え方が違う。一枚目は灰色の中に笠と杖と背中の荷が見分けられて、まだ人の形をしている。二枚目は青緑の板を人の形に切り抜いたようになって、持ち物が判別しづらい。

もう一つ、馬です。一枚目は後脚に灰褐色が乗っていて、毛を表す細い線がその上を走ります。二枚目は同じ場所に色が乗っておらず、紙の白に線だけが残っている。第4回で紅が丸ごと抜けた一枚を見ましたが、色が一版分抜けるとこう見えるのか、という実例です。

霧は、絵師ではなく摺師が作っている

この二枚を通して思うのは、広重が版下で描いたのは「霧の中の三島」という構図までで、霧そのものは摺師が作っている、ということです。

鳥居の形は絵師が決めました。でも、その鳥居がどれくらい遠くに見えるかは、そこへ置く色の濃さで決まる。同じ版木から灰色の朝と青い朝が出てくるのは、そこに裁量があるからです。

浮世絵は絵師の名前で売られ、絵師の名前で語られます。この二枚を並べると、その言い方が半分しか合っていないことがよく分かる。工程の話で彫師と摺師を紹介しましたが、名前が残らなかった側の仕事は、こういうところに残っています。

この連載は2枚の優劣を決めるためのものではありません。掲載順にも意味はありません。どちらが早い摺りかも、ここでは判定していません。摺りの早さ・保存状態・退色はそれぞれ別の要因で、Web用の画像から言えることには限りがあります。ここに書いたのは、公開されている画像を並べて実際に見えた違いだけです。二枚目は四隅が丸く欠けていますが、これが台紙の跡なのかどうかは分かりませんでした。
奥に見えている鳥居は三嶋大社のものです。東海道の宿場を描くとき、広重は宿の建物より、その土地の目印になるものを選んで置きました。三島なら大社の鳥居。霧でほとんど見えないのに、それでも画面に入れてあるのは、見えなくても「ここが三島だ」と分かる形だからだと思います。

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