切られた浮世絵、切られていない浮世絵

額に入れるために、画帖に貼るために、あるいは三枚続を三人で分けるために——浮世絵は長い歴史のなかで、しょっちゅう鋏を入れられてきました。今日はその「切られ方」の話をします。悲劇のようでいて、実は安く手が届く入口でもあるという、ちょっとねじれた話です。

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」。役者の顔の周囲に黒雲母を摺った余白まで含めて紙面全体が残っている
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」寛政6年(1794)。役者の顔の周囲にも黒雲母(きらずり)の余白が続いていて、これがまるごと残っている状態が「切られていない」個体です。 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

なぜ浮世絵は切られてきたのか

浮世絵は本来、絵の周りに紙の余白を残したまま摺られています。大判なら縦39cm、横26.5cmほどの1枚の紙全体が作品です。ところがこの絵を買った人の側からすると、余白は邪魔になりがちでした。額に入れれば余白の分だけ大きな額が要りますし、画帖に貼るなら台紙のサイズに合わせて切ったほうが体裁がいい。だから多くの個体が、持ち主の都合で四辺のどこかを切り詰められています。

軽く余白を落とすだけならまだいいほうで、絵の端に近いところまで刃が入り、題名を記した柱や、改印・版元印ごと失われてしまった個体も珍しくありません。改印や版元印は用語集で書いたとおり、制作年代を推定する手がかりそのものです。それが物理的に切り落とされているということは、その絵から読める情報が一つ減っているということでもあります。

「耳」が残っていることの意味

この余白のことを、業界では「耳」と呼びます。耳が四辺ともきれいに残っている個体は、それだけで「後から手を加えられていない=切られていない証拠」として評価が上がります。海外のディーラーの解説を見ても、状態のいい未裁断の個体は、傷んだり切り詰められたりした個体の2倍・3倍の値がつくことがあると紹介されるほどで、耳の有無は摺りの早い遅いと並ぶくらい、値段を左右する要素です。

裏を返せば、耳がぎりぎりまで切られている絵は、それだけでワンランク下の値段で出回りやすいということでもあります。同じ絵なのに値段が違う理由で書いた初摺・後摺の話と、この裁ち落としの話は独立した軸です。初摺なのに耳がなくて安い、後摺なのに耳が完璧で高い、という組み合わせもふつうに起こります。

実際どのくらい印象が違うのか、目で見て分かる範囲で書いておきます。耳が残っている個体は、絵柄の周りにひと呼吸ぶんの余白があり、その静けさごと1枚の作品として成立しています。耳が失われた個体は、絵柄がフレームぎりぎりまで迫っていて、見た目にも窮屈です。切り方が絵柄の輪郭線にまで及んでいる個体では、輪郭を縁取っていた墨の線そのものが片側だけ途切れて見えることもあり、そこまでいくと絵として少し落ち着かない印象になります。額装で耳を隠すこと自体は珍しくありませんが、耳を失った個体はそもそも隠す余白がない、という違いです。

耳あり(未裁断) 耳なし(裁ち落とし) 題名・改印もここに残る 耳(余白) 耳も題名・改印も失われた 同じ絵柄
耳(よぶん)が四方に残っている個体(左)と、絵柄ぎりぎりまで裁ち落とされた個体(右)。右のように切られると、題名を記した柱や改印まで一緒に失われることがある。

では題名や改印は、耳のどのあたりに入っているのか。多くの大判錦絵では、題名を記した「柱」は絵柄の右か左の縁に沿った細い帯として摺り込まれ、改印・版元印・絵師の落款は、絵柄の下辺に近い余白にまとまって並ぶことが多くなっています。つまりこれらの情報は、絵の中央ではなく、すべて耳の内側——紙を切り詰めるときにまっさきに刃が入る場所に集まっているということです。耳を大きく落とせば、これらが道連れで消える理由はここにあります。

絵柄 (題名) 落款 改印 版元印 耳(余白)——情報はすべてこの中にある
模式図です。位置は作品や時代によって変わりますが、傾向として題名の柱は絵柄の脇に、改印・版元印・絵師の落款は絵柄の下辺の余白にまとまって入ります。どれも耳の内側にあるため、耳を失うと道連れで失われやすいという構図です。

三枚続のバラ売りという、もうひとつの楽しみ方

豊原国周「市川左団次演 土左衛門伝吉」。三枚続のうち1枚だけが残る役者絵
豊原国周「市川左団次演 土左衛門伝吉」明治期。もとは大判3枚続の芝居絵で、これはそのうちの1枚です。 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

切られ方には、四辺を削る裁ち落としのほかにもう一つ、大判3枚で1つの画面をつくる三枚続が、バラバラに売られてしまうケースがあります。もとの持ち主が3枚のうち気に入った1枚だけを額に入れ、残り2枚を手放したり失くしたりする。あるいは画商が3枚まとめてより1枚ずつ売ったほうが早く現金化できると考える。理由はいろいろですが、結果として市場には「本来は3枚1組だったはずの、1枚だけ」がよく出てきます。

三枚続(3枚でひとつの画面) 1枚だけ市場へ ? ? 手もとにある1枚 残り2枚は、まだどこかに
大判3枚を並べて初めて1つの画面になる「三枚続」。市場に出るのはそのうち1枚だけということも多く、残り2枚は行方知れず——足りないからこそ、いつか巡り合う楽しみも付いてくる。
宮川春水「風流謡三幅対」。大判3枚が横に並び、庭先の女性たちの姿と松や鶴の背景意匠がパネルをまたいで連続する三枚続の全体像
宮川春水「風流謡三幅対」宝暦末期(1750年代末)頃。3枚がそろって初めて1つの画面になることが、この1点でよく分かります。中央と右のパネルでは松の枝や鶴が、左と中央のパネルでは庭石や地面の線が、継ぎ目をまたいでつながっています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

上の国周の絵も、もとは3枚続の芝居絵の右か左か中央、その1枚です。画面の構図が中途半端に切れているのを見れば、隣にもう1枚あったことは一目瞭然です。これは欠けているという意味では確かに不完全な個体ですし、値段も3枚揃いより控えめにつきます。ただ、これを弱みとしてだけ見る必要はないと思っています。1枚だけなら手の届く値段で買え、しかも「残り2枚はどこかにあるはずだ」という探す楽しみが、最初から付いてくるからです。オークションや画廊の棚を眺めるたびに、同じ絵柄の続きの1枚に出会えないかと意識するようになる。欠損を嘆いているわけではありません。コレクターとしての遊び方の一つだと思って買っています。

買うときに四辺を見る癖をつける

骨董市や画廊の店頭では、掲載写真や実物の四辺をまず見る癖をつけると、切られた個体かどうかがだいぶ分かるようになります。絵柄のすぐ外側で紙が終わっていないか、題名や落款のあたりで不自然に切れていないか、三枚続なら左右の端で人物や背景が中途半端に途切れていないか。これだけでも、値段の理由をかなり具体的に推測できます。

もう一つ強力なのが、その絵と同じ図柄の「切られていない個体」を探して見比べる方法です。米国の研究者ジョン・レズィグが構築した横断検索データベースukiyo-e.orgでは、世界各地の美術館・図書館・オークションハウスが公開している同一図柄の浮世絵をまとめて見ることができます。手もとの1枚と並べれば、自分の絵がどこまで残っていて、どこが切られているのかが具体的に分かります。国内なら国立国会図書館デジタルコレクションや、各美術館のオンラインコレクションでも同じ図柄を探せることがあります。

この記事は「切られた絵は買うな」という話ではありません。耳が完璧な個体を最初から狙うと、手の届く値段の選択肢はぐっと減ります。裁ち落としも三枚続のバラも、値段が下がる理由を自分で分かった上で選ぶなら、十分に納得のいく1枚になります。

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