摺り比べ 第4回 亀戸梅屋舗——同じ版木から、三つの空が出てくる

3枚並べます。空の上端に藍の帯がある一枚、紅がまるごと抜けた一枚、そして帯のない一枚。同じ図柄なのに、季節も時刻も違って見えます。

臥龍梅の枝が、視界をふさぐ

歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」。手前に梅の老木の太い幹が斜めに立ちはだかり、その向こうに白梅の林と柵越しの見物客が小さく見える。空は上端が濃い藍、その下が一面の紅、地面は青みの強い緑
歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」安政4年(1857)。右上に「名所江戸百景」の題箋と図題の札「亀戸梅屋舗」、左下に「広重画」の落款が入ります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

亀戸の梅屋敷にあった臥龍梅(がりょうばい)という名木です。地を這うように枝が広がる姿から龍にたとえられ、江戸の梅の名所として人が集まりました。広重はその幹をいちばん手前に、それも画面の真正面に立ててしまいます。おかげで肝心の梅林は幹の向こう側で、柵に並ぶ見物客も豆粒ほどにしか見えません。名所を描くはずの絵で、名所を隠す。この構図の思い切りについてはいつか江戸百景をで書きました。ゴッホが油彩で模写したのも、この大胆さに反応したからでしょう。

この図柄は版木の寿命と摺り部数の回でも2枚並べています。あちらの狙いは「同じ版木でここまで違う」を見せることでした。ここではもう1枚足して、違いが画面のどこに出ているかを部分ごとに拡大します。

一枚目——藍の帯と、燃える紅

まず上の1枚の空を拡大します。

一枚目の空の上端の部分拡大。画面の最上部に濃い藍の帯があり、下へ向かって藍が抜けて紅に変わる。右に朱地の題箋と、藍と緑の図題の札
一枚目の右上。上端の藍が数センチのあいだで抜け、そこから下は一面の紅です。紙の上端には改印も見えます。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

上端に置かれた藍の帯は、一文字ぼかしと呼ばれる摺り方です。版木の縁に沿って絵具を帯状に置き、外へ向かって拭き取っていく。詳しい手つきは摺師の仕事に書きました。ここでは藍が2〜3センチほどで抜け、そのすぐ下から紅が始まります。上が夜で、下が夕焼け。梅を見に来た人の頭の上で、空が二段に分かれている勘定です。

地面は青みの強い緑。空の紅と正面からぶつかる補色の関係で、画面がびりびりします。これが江戸で売られたときの見え方に近いのだとしたら、亀戸の梅見はずいぶん派手な行事だったことになります。

二枚目——紅が、まるごと無い

同じ図柄の別の一枚。空の上端には藍の帯があるが、その下は紅がなく、白に近いクリーム色のまま。地面は黄みを帯びた明るい緑
同「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」安政4年(1857)、別の一枚。上端の藍はそのままに、空の紅だけが見あたりません。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)
二枚目の空の上端の部分拡大。濃い藍の帯は残っているが、その下はクリーム色の紙の色で、紅がまったく見られない。右の題箋の朱は淡い
二枚目の右上。藍の帯はしっかり残り、その下は紙の色です。題箋の朱も一枚目より淡くなっています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

藍は残っているのに、紅だけが無い。ここで展示替えと退色の話が効いてきます。上端の藍はベロ藍(プルシアンブルー)で、光による褪色をほとんど受けません。対して紅花から採る紅は、浮世絵の色料のなかでもとりわけ光に弱い。同じ紙の上で、丈夫な色だけが残り、弱い色だけが抜けた——そう読むと、この空の説明はつきます。

裏づけになりそうな手がかりが、右の題箋にもあります。「名所江戸百景」の朱は、一枚目に比べてはっきり淡い。つまり赤系の色が全体として力を失っている一枚で、そのなかでも空の紅がいちばん先に、いちばん徹底的に抜けた。もっとも、これは私が2枚の画像を見比べて言っているだけです。実物を計測したわけではないので、断定はしません。

ついでに、この一枚は紙の上端が絵の際で切られていて、一枚目にあった改印が残っていません。額装や貼り込みのために縁を切り詰められた個体で、その話は切られた浮世絵、切られていない浮世絵に書いてあります。

紅の無いこの空は、冬の名残の曇り空に見えます。地面の緑も一枚目より黄みが強くて、下から芽吹きが始まったばかりという色をしている。梅は早春の花ですから、この一枚のほうが暦には忠実です。

三枚目——上端に、藍が無い

同じ図柄のもう一枚。空の上端に藍の帯がなく、紅が画面のいちばん上まで届いている。幹は温かみのある灰色、地面は明るいエメラルド色
同「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」安政4年(1857)、三枚目。紅が上端まで届き、幹の色も温かい灰色に寄っています。紙の左端に所蔵館の整理票が見えます。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)
三枚目の空の上端の部分拡大。藍の帯がまったくなく、紅が紙の縁まで続いている。図題の札の地色は淡いクリーム色
三枚目の右上。上端の藍がありません。図題の札の地色は、一枚目・二枚目の緑に対してここでは淡いクリーム色。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

ここが今回いちばん面白いところです。ベロ藍は光でほとんど褪せません。それなのに上端の藍が丸ごと無いということは、褪せたのではなく、この一枚には最初から入れなかった、と考えるほうが筋が通ります。図題の札「亀戸梅屋舗」の地色まで緑ではなくクリーム色になっているので、色版の使い方そのものが違う。

どちらが早い摺りか、という判定はここでもしません。摺る時期によって色版が省かれることも、逆に足されることもあります。第1回から同じ立場です。ただ、藍を入れなかったおかげで、この一枚の空は上から下まで途切れずに一色でつながっています。天頂まで焼けている、昼と夕方のあいだのような空です。幹の色が黒でなく温かい灰色に寄っているのも効いていて、画面全体がやわらかい。

地面の緑も、同じ緑ではありません

一枚目の地面の部分拡大。梅の幹の向こうに広がる地面が、青みの強い深い緑で摺られている
一枚目の地面。青に振った緑です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大
二枚目の同じ範囲の部分拡大。地面が黄みを帯びた明るい草の緑で摺られている
二枚目の同じ範囲。黄に振った緑です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)を部分拡大

版木は同じ、輪郭も寸分違わない。それでも、片方は水底のような青緑、もう片方は日の当たる草の緑です。江戸の緑は多くの場合、藍と黄を混ぜて作りました。配合が少し動けば、青寄りにも黄寄りにも転びます。空の色が摺るたびの裁量だったのと同じことが、足もとでも起きているわけです。

この2枚を離れて眺めると、一枚目は夕暮れの冷たい地面、二枚目は昼の草地に見えてきます。空だけが季節を決めていたのではなかった、ということです。

三つの季節

並べ終えて残るのは、同じ一図から三つの時間が出てきたという事実です。一枚目は日の落ちぎわ、上に夜、下に夕焼け。二枚目は紅の去った曇天と、芽吹きの緑。三枚目は天頂まで朱に染まった、風のない昼下がり。どれも安政4年(1857)の同じ版木から生まれ、170年近くを別々の場所でくぐり抜けてきた紙です。

市場での値段はこの3枚で違うはずです。ただそれは同じ絵なのに値段が違う理由で書いたとおり、希少さと状態の話であって、絵として眺めたときの面白さの順位ではありません。名所江戸百景は摺りの時期を選べば個人の手にも届くシリーズで、そのあたりの現実的な話はいつか江戸百景をにまとめてあります。手に入れた一枚がこの三つのどれに近いとしても、それはその一枚だけの空です。

この連載は複数枚の優劣を決めるものではなく、掲載順にも意味はありません。摺りの早さ・保存状態・退色はそれぞれ別の要因で、Web用の画像から言えることには限りがあります。ここに書いたのは、公開されている画像を並べて実際に見えた違いだけです。
臥龍梅は明治43年(1910)の大水で枯れ、梅屋敷そのものも失われました。跡地に当時の梅林は残っていません。広重が幹で視界をふさいだせいで、この絵からは梅屋敷の全体像がついに分からない——名所の記録としては不親切きわまりないのに、いちばん有名な亀戸の絵になったのがこの一枚です。

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