贋作と印刷レプリカ——「安すぎる有名作品」を疑う

骨董市の平台に「神奈川沖浪裏」が積んであって、値札が3,000円。心臓に悪い光景です。ただ、あわてて財布を出す前に知っておくと安心なことがあります。この手の1枚は、たいてい贋作ですらありません。本当に用心すべきものは、もっと静かな顔をして棚に並んでいます。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。大波の向こうに小さく富士山が見える
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」天保元〜4年(1830〜33)頃。世界でいちばん複製されている浮世絵であり、だからいちばん「安い個体」に出会いやすい図柄でもあります。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

安すぎる有名作品の正体は、たいてい贋作ではない

数千円で売られている有名図柄のほとんどは、印刷された複製か、近現代に彫り直された復刻の木版画です。そして大事なのは、売り手がそれを隠していないことが多い、という点です。美術館のショップで買う複製、観光地の土産物、復刻版画の版元が「復刻版」と明記して売っているもの——値段と中身が最初から一致していて、そもそもだまされる余地がありません。

厄介なのは、非本物であることを言わずに、江戸の錦絵として売られている1枚のほうです。数は多くありませんが、有名図柄ほど混ざりやすい。値段の話そのものは同じ絵なのに値段が違う理由で書いたので、ここでは「木版か、そうでないか」を目と手でどう切り分けるか、その線引きに絞ります。

「本物でない」にも段階がある

ひとくちに「本物じゃない」と言っても、中身はかなり違います。市場で出会う頻度が高い順——そしてだいたい、物理的に見分けやすい順——に並べると、こうなります。

印刷複製

オフセット印刷やコロタイプ印刷で写真製版したもの。ミュージアムショップの絵葉書、額装ポスター、土産物の類。版木は一度も彫られていない。数としてはこれが圧倒的に多い。

近現代の復刻木版

現代の版元が、江戸と同じ和紙・水性絵具・桜の版木で彫り直し・摺り直したもの。アダチ版画研究所(1928年創業)や渡邊木版美術画舗(1909年創業)がよく知られる。工芸品として上等で、それ自体は買って損のないもの。

後版

江戸から明治にかけて、摩耗した版木を彫り直して再出版したもの。当時の職人が当時の紙に摺った当時物であって、そもそも「非本物」ではない。ただし最初の版とは別の版木なので、初摺と同じものとして売られていれば話が違ってくる。

意図的な贋作

偽の落款や印を加えたもの、印刷物に手で色を乗せて木版に見せかけたもの、紙を汚して古く見せたもの。数は少ないが、狙って作られているぶん、手がかりも意図的に消されている。

バーは「ルーペと裏返しだけでどこまで判別できるか」の目安です。下にいくほど、紙とインクという物理だけでは切り分けられなくなり、改印や落款、来歴といった別の材料が要るようになります。版木の寿命と摺り部数で扱った後摺・後版の話は、この3段目に直結します。

印刷か木版か——ここは物理で決まる

上の4段階のうち、いちばん上の印刷複製だけは、浮世絵の知識がまるでなくても切り分けられます。絵の中身ではなく、紙とインクの物理の問題だからです。手がかりは4つあります。

①ルーペで網点を探す

カラーのオフセット印刷は、色の濃淡を点の大小で表現します。この点が網点で、一般的なカラー印刷なら1インチあたり175本前後の細かさで並びます。しかも版ごとにスクリーンの角度をずらして重ねるため、拡大すると点が菊の花のような規則正しい模様を作ります。10倍程度のルーペがあれば、はっきり見えます。

木版の色面には、この規則性がありません。水で溶いた絵具が和紙の繊維に染み込むので、拡大しても点は出てこない。色は繊維に沿ってにじみ、色と色の境目はぼんやり不定形になります。均等な格子か、繊維に染みた面か——見ているのは、そこです。

オフセット印刷 規則正しい点の格子 色ごとに角度をずらして重ねる 菊の花のような模様が出る 木版ではない コロタイプ印刷 網点がない極細の粒子 ゼラチンの微細なしわで摺る 粒は均質で、紙に染みていない これも木版ではない 木版画 繊維に染みた不定形の面 点は一つも見当たらない 色の縁が繊維に沿ってにじむ 木版の可能性が残る ——見ているのは「紙の上に乗っているか、紙に染みているか」です
ルーペで拡大したときの見え方の模式図です。オフセット印刷は点の大小で色を作るため規則的な格子が現れますが、コロタイプには網点がありません。網点の有無だけで木版かどうかは決められない、という点がこの図の要点です。

ここで一つ、落とし穴があります。網点が見えなければ木版、とは言えません。コロタイプという印刷方式は、ゼラチン膜にできる微細なしわで階調を作るので、原理的に網点が存在しないのです。明治期には絵葉書に使われ、大正以降は古美術の図録に、昭和には文化財の複製に用いられてきました。京都の便利堂は現在も多色のコロタイプを手がけており、この分野では世界でほぼ唯一の存在です。仕上がりの階調は驚くほどなめらかで、うっかりすると木版に見えます。ただし拡大したときの粒はどこまでも均質で、繊維をたどってにじむ感じがない。そこが違います。

②裏返す——絵具は紙を抜けているか

木版画は、水で溶いた絵具を版木に置き、湿らせた和紙を伏せて、馬連で背中から圧をかけて摺ります。水分と圧力で押し込むので、絵具は紙の裏側まで抜けます。本物の錦絵を裏返すと、絵柄が薄く反転して読めることがほとんどです。これが「裏写り」です。

油性インキを紙の表面に乗せるだけの印刷では、これが起こりません。写真製版の複製は、裏返すとのっぺりと白いままです。ルーペより先に裏を見る、というくらい、実物が手もとにあるなら手っ取り早い確認方法だと思います。

木版画 絵具が紙を貫く 水と馬連の圧で押し込む 繊維の奥まで色が入る 裏返すと絵柄が薄く読める 印刷複製 インキは表面に乗るだけ 油性で、紙に染み込まない 厚みの中に色が入らない 裏は白いまま 空摺(からずり) 絵具を使わず紙を押す 色のつかない版木で強く摺る 紙そのものが変形する 指で触れると段差がある
紙の断面の模式図です。木版は水性絵具を圧で押し込むので色が紙の厚みを貫き、印刷のインキは表面に留まります。いちばん右の空摺は色をまったく使わず、紙の変形だけで模様を作る技法で、印刷では原理的に再現できません。

③紙の縁と、紙そのもの

手漉きの和紙は、簀桁(すけた)から外した縁の部分に繊維がほつれた「耳」ができます。ルーペで見ると繊維が毛羽立ち、厚みも均一ではありません。対して機械で断裁した紙の縁は、定規で引いたようにまっすぐで、切り口も平らです。

ただしこの手がかりは、思っているほど万能ではありません。江戸の錦絵は大きく漉いた紙を判型に裁って使うので、四辺すべてに耳が残っているとは限らない。額に合わせて後から切られた個体も山ほどあります(この話は切られた浮世絵、切られていない浮世絵で詳しく書きました)。しかも近ごろは機械漉きでも耳付きの和紙が作れます。縁は、単独では決め手にならない補助材料だと思っておくのがちょうどいいところです。

手漉き和紙の耳 繊維が毛羽立ち、波打つ 厚みも一定ではない 機械で断裁した縁 定規のような直線 切り口が平らでそろう
紙の縁の模式図です。ただし江戸の錦絵も大きな紙を判型に裁って使うため、四辺すべてに耳が残っている個体のほうがむしろ少数派です。縁は補助的な材料と考えてください。

④角度を変えて、凹凸と光沢を見る

ここがいちばん確実で、しかもいちばん楽しいところです。浮世絵には、絵具を使わずに紙そのものを加工する技法があります。空摺(からずり)は、絵具をつけない版木の上で紙を強く摺り、着物の地紋や輪郭を凹凸として浮き上がらせる技法。雲母摺(きらずり)は、雲母の粉を膠(にかわ)で溶いて摺り、背景に金属的な光沢を持たせる技法です。私家版の摺物になると、真鍮粉のような金属粉を惜しみなく使ったものもあります。

どちらも、絵を正面から見ているかぎり気づきません。少し斜めから、あるいは光源に対して角度を変えて見ると、凹凸が影を作り、雲母がぬるりと光る。これは物としての性質なので、平らな紙に印刷した複製では絶対に出ません。同じ理由で、写真でも図録でも伝わりません。展示室でしゃがんで見ると分かりやすい、と言われるのはこのためです。

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」。役者の背後に黒雲母を摺った暗い背景が広がる
東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」寛政6年(1794)。背景は黒雲母摺(くろきらずり)で、実物は角度によって鈍く光ります。 メトロポリタン美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

この写楽の大首絵は、複製がとにかく多い図柄です。実物の背景は雲母の粒が光を拾って表面が微妙にざらつきますが、印刷の複製では、ただ均一に暗いだけの平面になります。写真の上では両者はほとんど同じに見えます。だから、この差は画像を眺めていても永久に分かりません。

十二支の動物を金属粉で摺り出し、狂歌を配した私家版の摺物
「十二支摺物」慶応2年(1866)。真鍮粉で十二支を摺り出した私家版の摺物です(絵師はシカゴ美術館の記録に「Indai」とあるのみで、詳細は不明です)。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

店頭で見る順番

実際に手に取れる場面では、この順で見ています。ルーペを最初に出す必要はありません。

① 斜めから見る

凹凸と光沢

角度を変えて、空摺の段差や雲母の光が出るか見る。出れば印刷ではない。

分かること: 物としての質感

② 裏返す

裏写り

絵柄が薄く抜けているか。真っ白でのっぺりしていれば印刷を疑う。

分かること: 絵具が紙を抜けたか

③ 縁をなでる

耳と断裁

繊維の毛羽立ちか、平らな直線か。ただし単独では決め手にならない。

分かること: 紙の素性の見当

④ ルーペを当てる

網点

色の濃い部分に当てる。規則的な点の格子が出たらオフセット印刷で確定。

分かること: 印刷方式そのもの

①〜④はどれも、実物が手もとにある場面でしか使えません。通販やオークションの写真からは、紙質も裏写りも凹凸も読み取れません。

意図的な贋作には、いくつか癖がある

ここから先は、印刷か木版かでは切り分けられない領域です。木版画として作られたうえで、江戸の錦絵のふりをしているもの。数としては多くありませんが、傾向はあります。

贋作を疑う手がかりと、その理由
気になる兆候なぜそうなるのか
有名な図柄ばかり手間をかけて作る以上、確実に売れる絵に集中する。人気の絵師の作品ほど贋作が多いのは、市場の当然の帰結です。
落款や印だけが妙に鮮明絵の部分と印の部分で摺りの調子が揃わないのは、印が後から加えられた可能性を示します。本来は同じ版木から同時に摺られるので、そこだけくっきりする理由がありません。
改印の形式が絵の年代と合わない改印は制度が変わるたびに形式そのものが変わり、それぞれの形は特定の時期にしか存在しません。絵柄の年代と印の形式がずれていれば、どちらかが嘘です。
状態が良すぎる200年近く経った紙にしては白い、傷みが一つもない、色が鮮やかすぎる。時間の痕跡が不自然に欠けているのは、それ自体が情報です。
来歴の説明が曖昧「蔵から出たもの」で説明が終わり、前の持ち主も入手経路も出てこない。曖昧さは、必ずしも嘘の証拠ではありませんが、確認できる材料が一つ減るということではあります。

もう一つ、印刷と贋作のあいだにある形として、印刷物に手で色を乗せたものがあります。単色や薄い刷りの複製に絵具を筆で置くと、表面には確かに絵具の艶と凹凸が生まれ、ぱっと見は手仕事のように見えます。ただ、色を乗せていない黒い輪郭線のところにルーペを当てると、下から網点が出てきます。手が加わっているぶん質感の手がかりが効きにくいので、こういうものこそ拡大が効きます。

改印の形式については、検閲と改印——絵に判が押してある理由で時期ごとの移り変わりを図にしてあります。落款・改印まわりの用語はこれだけ用語集にまとめました。

明治以降、浮世絵が海外で高く売れると分かった時期に、輸出向けの復刻や模造が相当量作られたことが知られています。復刻の版元が創業したのも、渡邊が1909年、アダチが1928年と、まさにこの時代です。今の市場に出回っている「古そうな1枚」の中には、江戸ではなく明治・大正の日本で作られたものが混じっている——そう考えておくと、年代の見立てが一段慎重になります。

復刻を避ける必要はない。偽られたものを避ければいい

ここまで見分け方を並べてきましたが、結論はわりと拍子抜けするところに着地します。復刻だと明示して売られているものには、何の問題もありません。アダチや渡邊の復刻は、和紙も絵具も版木も江戸と同じ材料で、現役の彫師と摺師が手を動かして作っています。工芸品として素直に良いものですし、退色していない鮮やかな色を楽しめるという、原版画にはない利点もあります。復刻と分かって、その値段で買うなら、それは間違いなく良い買い物です。

避けるべきなのは、復刻や印刷を、江戸の錦絵として売っているものだけ。この一点に尽きます。そして、この一点にかぎって言えば、対策はきわめて単純です。素性を説明できる売り手から買えばいい。神田や銀座の老舗画商、浮世絵を専門に扱うオークション——こうした場では、後摺なら後摺、復刻なら復刻と最初に言われます。言わないことのほうが商売として損だからです。買う場所ごとの性格はどこで買うかに、掘り出し物と表裏一体のリスクについては骨董市の歩き方にまとめています。

骨董市の3,000円の「神奈川沖浪裏」に話を戻すと。あれはたぶん複製ですし、複製として買うぶんには何も悪くありません。ただ、もし売り手が「江戸のものです」と言ったなら、そのときは裏を返させてもらう。それだけの話です。

この記事に書いた手がかりは、どれも実物を手に取れる場面でしか使えません。通販サイトやオークションの写真からは、紙の裏も、雲母の光沢も、縁の毛羽立ちも読み取れません。写真だけで判断できることは、正直なところ、ほとんどないと思っています。

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