鈴木春信——錦絵を生んだ人
華奢で、無性別的で、静か。鈴木春信の絵はひと目でそれと分かる独特の詩情を持っていますが、それ以上に大きな功績があります。今わたしたちが「浮世絵」と聞いて思い浮かべる、何色もの色を使った錦絵という形式そのものを作った人です。
それまでの浮世絵は、2色か3色だった
今わたしたちが目にする浮世絵の多くは、10色前後の版木を摺り重ねた「錦絵」です。ですが浮世絵の歴史のほとんどの期間、色数はもっと少ないものでした。墨一色で摺って筆で彩色する「墨摺絵」から始まり、赤系の顔料を主にした「丹絵」「紅絵」、そして版木を追加して赤と緑の2〜3色を刷り分ける「紅摺絵」へ。春信自身も宝暦10年(1760)頃、この紅摺絵の役者絵で絵師としてのキャリアを始めています。版木を増やせば増やすほど、色を寸分の狂いなく重ねる技術が必要になり、そこが長らく壁になっていました。
墨摺絵
版木は輪郭線の墨1色のみ。色は摺ったあと筆で手作業で塗った。
紅摺絵
墨版に紅と緑など2〜3枚の色版を追加。春信も最初はここから始めた。
錦絵(明和2年〜)
色版が10枚を超えることも珍しくなくなり、色の制約がほぼ消えた。
明和2年、絵暦交換会で起きたこと
春信自身の経歴はあまり多くが分かっていませんが、神田白壁町に自分の家を構える町人で、暮らし向きはそれなりに裕福だったとされます。近所には本草学者にして発明家、戯作者でもあった平賀源内が住んでおり、二人は親しく行き来していたと伝わります。多才で新しもの好きの源内が近くにいたことは、春信が色数の限界に挑む実験に前のめりで取り組む後押しになったのではないかと、個人的には想像しています。
この壁を破ったのが、明和2年(1765)前後に江戸の好事家たちの間で流行した「絵暦交換会」です。裕福な旗本や商人が趣味で「絵暦」——その年のカレンダー情報を絵の中に隠した私家版の摺物——を作り合い、互いに贈り合って出来映えを競う遊びが盛んになりました。売り物ではなく仲間内の贈答品だったからこそ、採算度外視で色版を何枚重ねてもいいという実験ができたわけです。春信は、大久保巨川(おおくぼきょせん)らが中心になったこの会に絵師として招かれ、色版どうしを寸分違わず重ねるための版木の目印「見当」を実用レベルまで磨き上げる仕事に深く関わりました。見当の仕組みがどう機能するかは摺師の仕事を追った記事で詳しく扱っていますので、興味のある方はあわせてどうぞ。この技術が評判を呼んで版元の商業印刷にも取り入れられ、色数の制約がほぼ消えた「錦絵」が生まれます。江戸の絵がここから一気に色づいていく流れは浮世絵の歴史でも触れています。それまで役者の顔や着物の柄を表すのに、赤と緑の2色でどう工夫するかを競っていた絵師たちが、急に10色以上の絵の具を自由に使えるようになったわけですから、この数年間の変化の大きさは相当なものだったはずです。
上の「夕立」は、この絵暦交換会の熱気そのものを伝える1枚です。浴衣の柄の中にその年の大の月を示す文字を、帯の柄の中に干支の文字を隠す——実用のカレンダーでありながら、遊び心を仕込んだ判じ物になっているのがいかにも江戸の好事家好みです。春信は明和7年(1770)に数え45歳で亡くなっており、活動期間はわずか10年ほど。錦絵として色数の制約から解き放たれてからは、さらに短い5年ほどしかありませんでした。それでもこの短い期間に、錦絵という形式そのものの基礎を作り上げてしまったのが春信という絵師です。
代表作を実際に見る
春信の絵の魅力は、色数が増えたことだけではありません。何を描くか、どう描くかという発想そのものが独特です。
ここを見てほしいのは、古典の一場面をそのまま描き写すのではなく、身近な男女の旅姿に置き換えている点です。杜若と板橋という舞台装置だけを『伊勢物語』から借り、主人公は在原業平ではなく、今そこにいそうな二人連れに変わっています。元ネタを知っている人には二重に楽しめ、知らない人には単純に旅の一場面として楽しめる。この二段構えが春信の「見立」の面白さです。
「坐鋪八景」は中国の名所絵画題「瀟湘八景」を丸ごと座敷の中の道具立てに置き換えたシリーズです。晩鐘は時計に、落雁は琴の糸を押さえる指に、暮雪は綿弾きの白い綿に。大陸の雄大な風景を、江戸の女性たちの何気ない室内の仕草に縮めて見せる発想が飛んでいます。上の1図でも、綿の白さが雪明かりのように静かに画面を照らしていて、テーマを知らずに見ても十分に美しい1枚です。
この1枚は個人的にとても好きな絵です。二人の少女がほとんど同じ体つきで描かれ、うつむいた横顔もそっくりに揃えられています。ドラマもオチもない、ただ糸を掛け合っているだけの数秒間を、これだけ丁寧な線と色で残しておこうと思ったところに、春信という人の眼差しの温度を感じます。
春信の見分け方
春信の絵を見分ける一番の手がかりは人物の体つきです。男も女も、極端に華奢で、肩幅は狭く、首は長く、顔立ちも中性的に描かれます。慣れないうちは、袖から覗く手の小ささや着物の柄で男女を判別することになるくらい、性差の表現が控えめです。線も特徴的で、太さがほとんど揺れない、均一で細い輪郭線が全身を包みます。北斎や国芳のような勢いのある線とは対照的に、静かで折れにくい線です。もう一つの手がかりが構図の静けさです。屋内なら座敷の隅、屋外なら橋のたもとや垣根の脇といった、ごく限られた狭い空間に人物を置き、そこに小さな詩情を凝縮させる構図を好みます。派手な見せ場ではなく、なんでもない一瞬を選んで描く——これが春信を他の絵師から見分ける、一番はっきりした個性です。そしてもう一つ、古典や中国の画題を当世風に置き換える「見立」への偏愛も見逃せません。「見立八橋」も「坐鋪八景」も、元ネタを知らなくても絵として成立するように作られていながら、知っている人にはもう一段深く読める仕掛けになっています。教養と絵心を同時に働かせる、贅沢な楽しみ方を用意してくれる絵師です。
手に入るのか
春信の当時摺り(明和年間に摺られたごく初期の1枚)は現存数が少なく、市場に出ても高値がつく希少品です。活動期間が10年ほどと短かったことも、現存数の少なさに拍車をかけています。一方で春信の図柄は人気が高いため、後世に彫り直された復刻版も数多く流通しています。復刻自体が悪いわけではなく、線の細さや色の雰囲気を手頃に楽しめる入り口として悪くない選択肢です。ただし当時摺りのつもりで復刻を手に取ってしまうと話が変わってきますので、当時摺りと復刻の見分け方は真贋・復刻の見分け方に、価格帯の考え方は値段の考え方にまとめてありますので、これから探してみたい方はあわせてご覧ください。
どこで見られるか
春信の作品はシカゴ美術館やメトロポリタン美術館をはじめ、国内外の美術館がまとまった点数を所蔵しています。多くはオンラインで高精細画像を無料公開しているので、まずは画面越しに線の細さを確かめてみるのもおすすめです。実物を所蔵する美術館の探し方は所蔵の厚い美術館を、デジタルで見る方法はデジタルで見る方法を参考にしてください。細い線の1本1本まで確認できるくらい解像度の高い画像を公開している館も多いので、実物を見に行く前の下調べとしても十分役に立ちます。
つづけて読む
- 版元・絵師・彫師・摺師——分業の仕組み — 春信が関わった「見当」の技術を、摺師の仕事として掘り下げます
- 浮世絵の歴史(江戸編) — 錦絵誕生前後の流れを通史で追う
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