鈴木春信——錦絵を生んだ人

華奢で、無性別的で、静か。鈴木春信の絵はひと目でそれと分かる独特の詩情を持っていますが、それ以上に大きな功績があります。今わたしたちが「浮世絵」と聞いて思い浮かべる、何色もの色を使った錦絵という形式そのものを作った人です。

鈴木春信「夕立」。にわか雨の中、物干し竿につかまり洗濯物を押さえようとする若い女性。浴衣の柄と帯にそれぞれ文字が隠されている
鈴木春信「夕立」明和2年(1765)。にわか雨に慌てて物干し竿にしがみつく若い女性を描いた1枚です。実はこれ、その年のカレンダーを兼ねた「絵暦」で、風にめくれる浴衣の柄と帯の中に、その年の大の月と干支を示す文字が隠されています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

それまでの浮世絵は、2色か3色だった

今わたしたちが目にする浮世絵の多くは、10色前後の版木を摺り重ねた「錦絵」です。ですが浮世絵の歴史のほとんどの期間、色数はもっと少ないものでした。墨一色で摺って筆で彩色する「墨摺絵」から始まり、赤系の顔料を主にした「丹絵」「紅絵」、そして版木を追加して赤と緑の2〜3色を刷り分ける「紅摺絵」へ。春信自身も宝暦10年(1760)頃、この紅摺絵の役者絵で絵師としてのキャリアを始めています。版木を増やせば増やすほど、色を寸分の狂いなく重ねる技術が必要になり、そこが長らく壁になっていました。

墨摺絵

版木は輪郭線の墨1色のみ。色は摺ったあと筆で手作業で塗った。

紅摺絵

墨版に紅と緑など2〜3枚の色版を追加。春信も最初はここから始めた。

錦絵(明和2年〜)

色版が10枚を超えることも珍しくなくなり、色の制約がほぼ消えた。

鈴木春信、花を売る娘を描いた紅摺絵。墨の輪郭線に紅と緑がかった2色だけを重ねた、錦絵以前の摺り方
鈴木春信、花売りの娘を描いた1枚。宝暦年間(1751〜64)頃、紅摺絵。定まった邦題は伝わっておらず、所蔵館の記載は"A Flower Vendor"です。墨の版に紅と緑を足しただけの、版木2〜3枚だった時代の実物です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

明和2年、絵暦交換会で起きたこと

春信自身の経歴はあまり多くが分かっていませんが、神田白壁町に自分の家を構える町人で、暮らし向きはそれなりに裕福だったとされます。近所には本草学者にして発明家、戯作者でもあった平賀源内が住んでおり、二人は親しく行き来していたと伝わります。多才で新しもの好きの源内が近くにいたことは、春信が色数の限界に挑む実験に前のめりで取り組む後押しになったのではないかと、個人的には想像しています。

この壁を破ったのが、明和2年(1765)前後に江戸の好事家たちの間で流行した「絵暦交換会」です。裕福な旗本や商人が趣味で「絵暦」——その年のカレンダー情報を絵の中に隠した私家版の摺物——を作り合い、互いに贈り合って出来映えを競う遊びが盛んになりました。売り物ではなく仲間内の贈答品だったからこそ、採算度外視で色版を何枚重ねてもいいという実験ができたわけです。春信は、大久保巨川(おおくぼきょせん)らが中心になったこの会に絵師として招かれ、色版どうしを寸分違わず重ねるための版木の目印「見当」を実用レベルまで磨き上げる仕事に深く関わりました。見当の仕組みがどう機能するかは摺師の仕事を追った記事で詳しく扱っていますので、興味のある方はあわせてどうぞ。この技術が評判を呼んで版元の商業印刷にも取り入れられ、色数の制約がほぼ消えた「錦絵」が生まれます。江戸の絵がここから一気に色づいていく流れは浮世絵の歴史でも触れています。それまで役者の顔や着物の柄を表すのに、赤と緑の2色でどう工夫するかを競っていた絵師たちが、急に10色以上の絵の具を自由に使えるようになったわけですから、この数年間の変化の大きさは相当なものだったはずです。

上の「夕立」は、この絵暦交換会の熱気そのものを伝える1枚です。浴衣の柄の中にその年の大の月を示す文字を、帯の柄の中に干支の文字を隠す——実用のカレンダーでありながら、遊び心を仕込んだ判じ物になっているのがいかにも江戸の好事家好みです。この隠し方が実際どういうものだったかは、絵暦と大小暦——江戸のカレンダーはクイズだったで、勝川春章の帯の丸紋と幕末の兎の絵暦から数字を拾い出し、その年の暦と突き合わせています。春信は明和7年(1770)に数え45歳で亡くなっており、活動期間はわずか10年ほど。錦絵として色数の制約から解き放たれてからは、さらに短い5年ほどしかありませんでした。それでもこの短い期間に、錦絵という形式そのものの基礎を作り上げてしまったのが春信という絵師です。

鈴木春信「恋文」。手紙を書く女性のそばで、もう一人が寝転んで文を読んでいる室内の情景。豊かな色数で摺られた私家版の摺物
鈴木春信、文を書く女性を描いた1枚。明和2年(1765)、私家版として摺られた「摺物」。定まった邦題は伝わっておらず、所蔵館の記載は"The Love Letter"です。「夕立」と同じ年に、同じような仲間内の依頼で摺られた1枚で、色数の豊かさは絵暦交換会が生んだ空気そのものを伝えます。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

代表作を実際に見る

春信の絵の魅力は、色数が増えたことだけではありません。何を描くか、どう描くかという発想そのものが独特です。

鈴木春信「見立八橋」。杜若の咲く水辺にかかる板橋のたもとで、旅姿の男女が草履の紐を結び直している。『伊勢物語』の一場面を当世風の男女に置き換えた見立絵
鈴木春信「見立八橋」明和元〜2年(1764/65)頃。『伊勢物語』第九段、三河国八橋で在原業平が杜若を見て都を思う場面を、当世風の男女連れに置き換えた見立絵です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

ここを見てほしいのは、古典の一場面をそのまま描き写すのではなく、身近な男女の旅姿に置き換えている点です。杜若と板橋という舞台装置だけを『伊勢物語』から借り、主人公は在原業平ではなく、今そこにいそうな二人連れに変わっています。元ネタを知っている人には二重に楽しめ、知らない人には単純に旅の一場面として楽しめる。この二段構えが春信の「見立」の面白さです。

鈴木春信「坐鋪八景 ぬり桶の暮雪」。座敷の中で、綿を弾く女性の手元を子どもがのぞきこんでいる室内の情景
鈴木春信「坐鋪八景 ぬり桶の暮雪」明和3年(1766)頃。中国の伝統的な画題「瀟湘八景」の一つ「江天暮雪」を、座敷で綿を弾く女性の姿に見立てたシリーズの1図です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

「坐鋪八景」は中国の名所絵画題「瀟湘八景」を丸ごと座敷の中の道具立てに置き換えたシリーズです。晩鐘は時計に、落雁は琴の糸を押さえる指に、暮雪は綿弾きの白い綿に。大陸の雄大な風景を、江戸の女性たちの何気ない室内の仕草に縮めて見せる発想が飛んでいます。上の1図でも、綿の白さが雪明かりのように静かに画面を照らしていて、テーマを知らずに見ても十分に美しい1枚です。

鈴木春信「あやとり」。屏風を背に、二人の若い女性が向かい合ってあやとりの糸を掛け合っている室内の情景
鈴木春信「あやとり」明和2〜3年(1765/66)頃。屏風の前で糸をかけ合う二人の女性。古典の下敷きを何も持たない、日常の遊びをそのまま切り取った1枚です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

この1枚は個人的にとても好きな絵です。二人の少女がほとんど同じ体つきで描かれ、うつむいた横顔もそっくりに揃えられています。ドラマもオチもない、ただ糸を掛け合っているだけの数秒間を、これだけ丁寧な線と色で残しておこうと思ったところに、春信という人の眼差しの温度を感じます。

春信の見分け方

春信の絵を見分ける一番の手がかりは人物の体つきです。男も女も、極端に華奢で、肩幅は狭く、首は長く、顔立ちも中性的に描かれます。慣れないうちは、袖から覗く手の小ささや着物の柄で男女を判別することになるくらい、性差の表現が控えめです。線も特徴的で、太さがほとんど揺れない、均一で細い輪郭線が全身を包みます。北斎や国芳のような勢いのある線とは対照的に、静かで折れにくい線です。もう一つの手がかりが構図の静けさです。屋内なら座敷の隅、屋外なら橋のたもとや垣根の脇といった、ごく限られた狭い空間に人物を置き、そこに小さな詩情を凝縮させる構図を好みます。派手な見せ場ではなく、なんでもない一瞬を選んで描く——これが春信を他の絵師から見分ける、一番はっきりした個性です。そしてもう一つ、古典や中国の画題を当世風に置き換える「見立」への偏愛も見逃せません。「見立八橋」も「坐鋪八景」も、元ネタを知らなくても絵として成立するように作られていながら、知っている人にはもう一段深く読める仕掛けになっています。教養と絵心を同時に働かせる、贅沢な楽しみ方を用意してくれる絵師です。

鈴木春信「雪中相合傘」。雪の積もった柳の下、黒装束の男と白装束の女が一本の傘を分け合って寄り添って立つ。均一な細い線と静かな構図
鈴木春信「雪中相合傘」明和4年(1767)頃。雪の柳の下、黒と白の対比だけで男女を描き分けています。線の太さはどこも変わらず、体つきも肩幅が狭く中性的です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)
歌川国芳「行者武松」。虎に馬乗りになり、拳を振り上げて殴りつける武松。太く波打つ線が全身の筋肉と虎の毛並みを埋め尽くす激しい構図
歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 行者武松」文政10〜天保元年(1827〜30)頃。太く勢いのある線が画面いっぱいに暴れ、静けさとは対極の絵になっています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

手に入るのか

春信の当時摺り(明和年間に摺られたごく初期の1枚)は現存数が少なく、市場に出ても高値がつく希少品です。活動期間が10年ほどと短かったことも、現存数の少なさに拍車をかけています。一方で春信の図柄は人気が高いため、後世に彫り直された復刻版も数多く流通しています。復刻自体が悪いわけではなく、線の細さや色の雰囲気を手頃に楽しめる入り口として悪くない選択肢です。ただし当時摺りのつもりで復刻を手に取ってしまうと話が変わってきますので、当時摺りと復刻の見分け方は真贋・復刻の見分け方に、価格帯の考え方は値段の考え方にまとめてありますので、これから探してみたい方はあわせてご覧ください。

鈴木春信、鍵屋の茶汲み娘・お仙が茶碗を運ぶ姿を描いた柱絵。縦に細長い判型の1枚
鈴木春信、笠森お仙(明和期に評判を呼んだ谷中・鍵屋の看板娘)を描いた柱絵。明和6〜7年(1769〜70)頃。定まった邦題は伝わっておらず、所蔵館の記載は"The Waitress Osen of the Kagiya Teahouse Carrying a Cup of Tea"です。お仙は春信が繰り返し描いた人気の題材で、こうした評判の高い図柄ほど、当時摺りと復刻の両方が数多く出回っています。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

どこで見られるか

春信の作品はシカゴ美術館やメトロポリタン美術館をはじめ、国内外の美術館がまとまった点数を所蔵しています。多くはオンラインで高精細画像を無料公開しているので、まずは画面越しに線の細さを確かめてみるのもおすすめです。実物を所蔵する美術館の探し方は所蔵の厚い美術館を、デジタルで見る方法はデジタルで見る方法を参考にしてください。細い線の1本1本まで確認できるくらい解像度の高い画像を公開している館も多いので、実物を見に行く前の下調べとしても十分役に立ちます。

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