摺り比べ 第2回 大はしあたけの夕立——雨脚がいちばん先に語る
同じ図柄を2枚並べて、違いをただ眺める連載の第2回です。今回選んだのは雨。彫師がいちばん手を焼き、摺りを重ねるたびにいちばん先に表情を変えると言われるモチーフを、歌川広重の代表作で確かめます。
二点を選びました
シカゴ美術館のオープンアクセスには、歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」の同じ図柄が3点収蔵されています。3点とも実際に開いて見比べたところ、雨の見え方と紙の周りの余白に、はっきりした違いが出ている2点が見つかりました。以下に並べます。左(スマートフォンでは上)、右(同・下)、どちらも同じ図柄・同じ版元から出た1枚です。なお、サイト内の別の記事で使っている「大はしあたけの夕立」の写真は、メトロポリタン美術館が所蔵する別の一枚です。今回はそれとは別に、シカゴ美術館の3点の中から選んでいます。
雨脚——画面の端から端まで
まず雨そのものを見てください。左の一枚は、黒雲の下から川面、対岸の森、そして橋の上を歩く5人の頭上まで、細い雨脚が一本も途切れることなく貫いています。彫師が版木の端から端まで通した線が、そのまま紙の上に生きている。この密度を最後まで崩さずに刷り上げるには、版木の状態も絵具の含ませ方も万全でなければなりません。橋を渡る人物の体にまで雨の線がまっすぐかかっている様子を見ると、彫師と摺師、両方の仕事の丁寧さに素直に感心します。
右の一枚は、空から川面にかけては同じように雨脚が密に並んでいますが、橋のまわりだけ線の数が少なく、合羽や傘の輪郭、橋板の木目までよく見えます。同じ図柄なのに、同じ場所の雨の量が違って見える。これも、実際に並べてみないと気づかない違いです。
雨の線がどうやって版木に彫られているかは、特集「浮世絵の雨」に書きました。この絵では角度の異なる二種類の雨の線が別々の版木に彫られ、重ねて摺られていたことが分かっています。ここではその仕組みを繰り返さず、実際の2枚でどう見えるかだけを追いました。
空——雲の色と、色紙形の色
空の上端、黒雲が垂れ込めている範囲は、2枚ともほぼ同じ高さまで伸びています。ただ、その黒の沈み方に差があります。左は墨に近いほど深く、下端の輪郭もくっきり波打っているのに対し、右はやや灰色がかって見え、雲の下端がなだらかにぼやけています。
もっとはっきり違うのが、絵の右上に置かれた色紙形——題字「名所江戸百景」を囲む小さな枠です。左は藍色の雲を思わせる文様、右は黄色から緑へ移り変わるぼかしで摺られています。同じ位置、同じ大きさの枠に、まったく違う色が乗っている。この枠の色だけを見比べても、2枚が別の摺りであることは一目で分かります。
対岸の森と川面
橋の向こうに広がる森の描かれ方も違って見えます。左は木々の輪郭が濃く、ひとつながりの黒い帯としてはっきり見えるのに対し、右は同じ位置の森がやや淡く、雨に霞んでいるような柔らかさがあります。川面の色合いも、左はやや緑がかった藍、右はもう少し青みの強い藍に見えます。この色の差が摺りの指定によるものか、170年近い時間の中で紙や絵具が変化した結果なのかは、画像を見比べるだけでは判断できません。
橋を渡る人々の色
橋を渡る5人にも目を向けてください。手前で傘をさす人物の裾に、右の一枚では紅色がのぞいています。左の一枚では、同じ位置は緑がかった色でまとまっていて、紅色は見当たりません。同じ人物、同じ姿勢なのに、着物の下から覗く色が違って見えます。この解像度で見比べる限り、色の版がずれて刷られているような大きな見当のずれは、私には確認できませんでした。
余白の残り方
最後に、絵の外側です。左は画面の際まで裁ち落とされていて、余白がほとんど残っていません。右は四辺にゆったりと余白があり、紙の縁の風合いまで見て取れます。第1回の神奈川沖浪裏でも触れたとおり、余白が残っているかどうかは絵の出来とは別の話で、後から額装のために切られることも多くありました。
新大橋とあたけ——描かれている場所
この絵が描いているのは、安政4年(1857)の隅田川です。手前の橋は新大橋、対岸に見えるのは幕府の御船蔵。かつてそこに「安宅丸」という巨大な御座船が係留されていたことから、界隈は俗に「あたけ」と呼ばれていました。版元は魚屋栄吉、「名所江戸百景」の多くを送り出した版元です。今も新大橋は隅田川に架かっていて、橋そのものは架け替えられていますが、広重が立った岸から橋を見上げる角度は、今も歩いて確かめることができます。
海を渡った模写、ゴッホの雨
この絵はさらに、海を越えて思わぬ形で模写されています。1887年、パリで浮世絵に熱中していたフィンセント・ファン・ゴッホが、「大はしあたけの夕立」を油彩でそっくり写し取りました。「日本趣味:雨の橋」と呼ばれるこの模写は、現在アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に所蔵されています。
面白いのは雨の描き方です。広重が版木に彫った斜めの細線を、ゴッホは紺色の絵具を置いた太めの縦の筆致に置き換えていて、線の角度も版画特有の鋭さも、そのままでは油彩に持ち込めなかったことが伝わってきます。空や橋板の色も原画よりずっと鮮やかで、彫師の線と画家の筆とでは、同じ「雨」という現象の描き方がまるで違う道具に化けている。これも、ある意味では今日見てきた摺り比べの延長線上にある話だと思います。
どちらが早い摺りかは、判定しません
空の色紙形、雨脚の見え方、余白の広さ——これだけの手がかりが並んでいても、摺りの時期による違いなのか、退色によるものなのか、保存環境の差なのかは、画像だけでは決められません。断定はしないでおきます。
それでも、はっきり言えることがひとつあります。この2枚は、安政4年のどこかで、同じ版木から同じ版元のもとで摺られた本物だということです。雨が画面を隙間なく覆う一枚には、たたきつけるような夕立の勢いがあります。人々の輪郭がくっきり浮かぶ一枚には、雨脚がふっと呼吸を継いだような静けさがある。どちらも「大はしあたけの夕立」という一つの絵が持っている、別の顔です。
「名所江戸百景」を自分の手もとに置くところまで考えている方は、後摺という現実的な選択肢もあわせて読んでみてください。値段の理由や、雨の線から摺りの見当をつける具体的な話も書きました。
つづけて読む
- 摺り比べ 第1回 神奈川沖浪裏 — 同じ連載の1本目。空・輪郭線・舟の色を見比べます
- 摺り比べ 第3回 — 連載はまだ続きます
- 同じ絵なのに値段が違う理由 — 摺りの違いが値段にどうつながるか
- 浮世絵の雨——彫師が一番手を焼いた線 — 雨がどう彫られ、どう摩耗していくか
- いつか江戸百景を——後摺という現実的な選択肢 — このシリーズを手もとに置くまでの道筋