肉筆浮世絵——版にしなかった一点物

浮世絵入門 第6回。ここまでずっと「浮世絵は印刷物だ」と繰り返してきました。その対極の話をします。版木を一度も通らず、絵師の描いた紙そのものが作品として残った浮世絵——肉筆画の世界を歩きます。

彫師も摺師も通らない「生の線」

先に誤解を解いておきます。版画の絵師も、筆で描いています。彫師に渡す下絵——版下絵は、絵師が筆で描いたものです。ただしその紙は版木に裏返して貼りつけられ、彫るときに一緒に削り取られて消えてしまいます。絵師の筆跡は版木へ移し替えられ、そこから摺られた紙に間接的に残る。版画で私たちが見ているのは、絵師の線を彫師が彫り起こした線です。

違いは筆を使うかどうかではありません。版にするか、しないかです。同じ絵師が、注文を受けて紙や絹に直接描き、そのまま届けた作品がある。版木を作らないので複製は存在せず、1点ずつがこの世に1枚きり。これが肉筆浮世絵です。第1回で書いた版元・絵師・彫師・摺師の分業でいえば、絵師のところで完成し、後ろの工程へ渡らなかった絵、と言い換えてもいいと思います。

この違いは、線に出ます。彫師の手を経た線は均一で、シャープで、何百枚摺っても同じ。肉筆の線はそうはいきません。筆の速さで太くなり、かすれ、墨の濃淡が揺れる。描いたその日の絵師の手の動きが、そのまま画面に残っています。版画を見慣れた目で肉筆を見ると、同じ北斎なのに別人の絵かと思うくらい印象が変わります。私はこの落差を知ってから、浮世絵の見方が一段深くなった気がしています。

葛飾北斎の肉筆画「茶筅売り」。茶筅を担いだ僧形の人物を、濃淡のある筆の線で描いた墨画淡彩
葛飾北斎「茶筅売り(Monk Selling Ceremonial Tea Whisks)」享和2年(1802)頃。紙本墨画淡彩、48.9×35.5cm。太くなったり細くなったりする輪郭線は筆そのものの動きで、版画の均一な線とはまるで別物です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

版画の線と肉筆の線、画面のどこで見分けるか

言葉で「太さが揺れる」と言われてもピンと来ないので、実際に線を比べてみます。版画の線は彫師が小刀で両側から溝を彫り込んで作るため、始まりから終わりまで幅がほぼ変わりません。肉筆の線は筆の穂先が紙に触れた瞬間に墨だまりができ、運筆の速さと圧で太くなったり細くなったりしながら、最後は掠れて途切れます。上の「茶筅売り」の輪郭線を指でなぞるように見ていくと、太いところと細いところが何度も入れ替わっているのが分かるはずです。

版画の線(彫師が彫る) 始めから終わりまで太さが一定 肉筆の線(絵師が筆で引く) 墨だまり→太い→細い→かすれ
版画の線と肉筆の線を、太さの変化だけに絞って簡略化した図解です。版画の線は彫刻刀の溝の幅がそのまま線の幅になるため一定ですが、肉筆の線は筆の入り(墨だまり)から抜け(かすれ)まで、一筆の中で太さが大きく揺れます。

絵師にとっては名誉ある高額仕事

版画は「安いから売れる」商売でした。1枚がかけそば一杯ほどの値段で、その代わり何百枚と摺る。肉筆はその逆です。裕福な商人や大名、料亭や遊郭の主人といった注文主から画料をもらい、1点に時間をかけて描き上げる。座敷に掛ける美人画の掛軸は特に人気がありました。肉筆の注文が来るということは、絵師として腕を認められた証拠でもあったわけです。

役者絵の名手だった勝川春章——のちの北斎の師匠です——は肉筆美人画でも当代一流で、「春章一幅値千金」、つまり春章の掛軸1本は千金に値するとまでうたわれました。版画の絵師は「安売りの職人」ではありませんでした。筆一本で高値のつく画家でもあった。この二面性は覚えておいて損がありません。

勝川春章の肉筆掛軸。縁側で語らう三人の美人を絹地に彩色で描いた縦長の画面
勝川春章「縁側に語らう三美人(Three Beauties Chatting by a Veranda)」寛政4年(1792)頃。絹本着色の掛軸、89.4×34.6cm。「一幅値千金」と言われた春章最晩年の肉筆美人画です。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

形としては掛軸が中心で、ほかに屏風、そして寺社に奉納する絵馬があります。北斎は80代になってから信州小布施に通い、祭屋台の天井絵や、岩松院の大天井に「八方睨み鳳凰図」を描きました。版画の第一人者が、最晩年は筆の仕事に力を注いだのです。

同じ場所を、版と筆で——広重の待乳山

版画と肉筆がどれだけ違うか、いちばん手っ取り早いのは、同じ絵師が同じ場所を両方で描いた例を並べることです。歌川広重に、それがあります。隅田川沿いの待乳山(まっちやま)。名所江戸百景の一図として版画に摺り、また絹地に筆で描いた掛軸も残しています。

歌川広重「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景」。濃紺の夜空に白い星、鮮やかな青の川。手前に市松模様の着物に赤い襦袢の女性が立ち、輪郭線がはっきりしている
歌川広重「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景」安政4年(1857)。版画のほう。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)
歌川広重の肉筆画「隅田川待乳山」。絹地に淡い黄土と薄緑だけで描かれ、輪郭線がほとんどない。霞の中に桜の木立と家並みが沈み、川面に小舟が浮かぶ
歌川広重「隅田川待乳山」安政3年(1856)。同じ場所を絹地に筆で。 シカゴ美術館蔵(CC0 / パブリックドメイン)

同じ絵師の、同じ場所です。信じられますか。版画のほうは濃紺の夜空に白い星が散り、川は目の覚めるような青。手前に立つ女性は市松の着物に赤い襦袢で、顔も帯の柄も一本の線でくっきり縁取られています。肉筆のほうは、色といえるものがほとんどありません。絹地の生成りをそのまま生かして、薄い黄土と緑をひとはけ置いただけ。桜の木立も家並みも霞に溶けて、川面には竿を差す船頭が豆粒ほどに浮かぶだけです。

輪郭線は、版画という技術の要請だった

この落差の理由は、はっきりしています。版画には輪郭線が要るのです。彫師は線を彫り、摺師はその線で囲まれた面に色を置く。線がなければ、どこまでが赤でどこからが藍か、指示のしようがありません。輪郭線は絵師の好みではなく、版木という道具が要求する仕様でした。

肉筆にはその縛りがありません。だから広重は線を引くのをやめ、絹地ににじませた淡彩だけで隅田川の霞を作りました。版画の広重しか知らずにこの掛軸を見ると、まず作者名を疑うと思います。小林清親が明治になって「輪郭線を彫らない版画」に挑んだのが、いかに無茶な試みだったかも、この2枚を見ると分かります。清親は版画の側から、広重が肉筆で当たり前にやっていたことへ手を伸ばしたわけです。

掛軸の右下に落款と朱印があります。版画の落款が版木に彫られた「印刷された署名」なのに対し、こちらは絵師が筆で書いた署名そのもの。押された印も、広重が手に持って捺したその印です。この一点しかない、という重みは、こういう細部に宿ります。

一点物ということは、その絵を見るには実物の前に立つしかない、ということでもあります。肉筆は退色を嫌って展示期間が短く区切られるのが普通なので、目当ての作品があるなら所蔵館の展示予定を確かめてから出かけてください。このあたりの事情は「見に行く」のセクションでまとめています。

どこで見られるか

肉筆をまとまった数で見られる場所は、実はかなり限られます。私が名前を挙げるならまずこの三つです。

買えるのか、という話

版画なら本物が数千円から手に入る、というのがこのサイトの持論ですが、肉筆は完全に別の市場です。無名絵師の小品でも数十万円から、名の通った絵師なら桁がいくつも上がりますし、1枚しかない分だけ真贋の見極めも版画よりずっと難しい。だからこそ肉筆は、美術館でこそ出会える一点物だと私は思っています。ガラス越しであっても、その1枚だけの筆致を間近でたどれるのは、肉筆ならではの楽しみです。版画と肉筆で値段の世界がどう違うかは「同じ絵なのに値段が違う理由」で扱っています。

版画は摺られた瞬間から社会に散っていく絵、肉筆は注文主の座敷で一人の目のために掛けられた絵。同じ絵師の中に、この二つの顔が同居していました。次に美術館で肉筆の掛軸に出会ったら、彫師も摺師も通っていない線を、ぜひ間近でたどってみてください。

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