一枚語り 第3回 北斎「諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝」——水源が、まん丸
水は、丸いところから出てきません。それを承知で、北斎は滝の上をまん丸に描きました。
上が、まん丸です
実際の滝は、こうなっていません。岩の割れ目から水が出て、落ちるにつれて広がる。円盤になることはない。それでも北斎は、水の出どころを完全な円に切り取って、その中を渦を巻く線で埋めました。
渦の描き方には元があります。観世水(かんぜみず)という、日本の文様として古くからある水の形です。太さの違う曲線をうねらせて水を表す。北斎はそれを崩して、円の中いっぱいに詰め込みました。文様として作られた形を、風景画の中の実物として使っている。
そして円の下端から、白い水の柱が始まります。ここからは一転して、定規で引いたようにまっすぐな線です。上は渦、下は直線。ひとつの滝の中で、水の描き方が二回変わっている。
藍だけで、水が落ちる
色の使い方を見てください。岩肌は黄土、木々は緑。水に使われているのは、藍の一色だけです。濃い藍で背景の岩陰を沈め、中くらいの藍で落ちる線を引き、薄い藍で円盤の中の渦を描く。同じ色を濃度だけ変えて、水の全部をまかなっています。
これができるのは、この時期に手に入るようになったベロ藍(プルシアンブルー)があってこそです。展示替えと退色で書いたとおり、輸入されたこの青は光にほとんど褪せません。だから百九十年たった今も、この滝は当時と近い青をしています。冨嶽三十六景と同じ頃、同じ絵の具で作られた揃物です。
三人とも、滝を見ていません
この一枚のいちばん好きなところです。画面の左、岩棚に三人がいます。敷物を広げ、黄色い重箱を置き、小さな器で何か飲んでいる。左端の一人は三脚から吊るした鉄瓶の火を見ている。
三人とも、滝に背を向けているか、互いのほうを向いているかで、誰も水を見ていません。日本の名瀑を目の前にして、弁当を広げてくつろいでいるだけです。
滝見という行楽は、たぶんこういうものだったのだと思います。滝そのものを凝視し続ける人はいない。着いたら座って、湯を沸かして、飯を食う。北斎はそれを知っていて、しかも画面の主役である滝の脇にわざわざ描き込んだ。滝の巨大さを人物の小ささで示す、という定石でもありますが、それだけなら滝を見上げさせたほうが早い。見ていないほうを選んだところに、この人の意地の悪さがあります。
滝ごとに、水の描き方が違う
「諸国瀧廻り」は全8図の揃物で、天保4年(1833)頃に版元・西村屋与八(永寿堂)から出ました。同じシリーズの他の図と並べると、北斎が滝ごとに水を描き分けているのが分かります。
小野の滝は、渦を使いません。細い線を整然と並べた束で、上から下まで同じ調子です。養老の滝は逆に、滝口が白い塊としてまとまり、そこから放射状に広がって、下では波が荒れている。阿弥陀ヶ滝の渦と直線の組み合わせは、このシリーズの中でも特殊なほうです。
研究者は、北斎がこのシリーズで水の形態変化を描き分けたと説明します。しぶきは点の大きさと間隔で、流れは輪郭線とぼかしで、淀む水は観世水を崩した曲線で。同じ「水」という言葉でくくられるものが、実は別々の形をしていることを、八枚で並べてみせた揃物だということです。
北斎は、たぶん行っていません
阿弥陀ヶ滝は実在します。今の岐阜県郡上市白鳥町、落差およそ60メートル、幅7メートルほど。昭和33年(1958)に県の名勝、平成2年(1990)に日本の滝百選に選ばれています。
名の由来には伝説があります。養老6年(722)に泰澄がこの滝を見つけて「長滝」と名づけ、その後、天文年間(1532〜55)に道雅法師が滝の岩屋にこもって護摩を焚いたところ、金色の光とともに阿弥陀三尊が現れた。それで阿弥陀ヶ滝になったと伝わります。
ただし、北斎がこの滝を実際に見たかどうかは分かりません。美濃の山奥にある滝で、訪れてはいないのではないかという指摘があります。行っていないとすれば、あのまん丸の水源は、想像のなかで組み立てられた形だということになる。
私はそのほうが面白いと思っています。見ていないから丸く描いた、のではなく、見ていないぶん「水とはどういう形か」を頭のなかで詰めた結果があの円盤なのだとしたら、これは写生ではなく発明です。北斎のページに、九十年生きてまだ足りないと言った人の話を書きました。足りないと思っていたのは、たぶんこういうことでした。
つづけて読む
- 一枚語り 第1回 大はしあたけの夕立 — 広重が雨をどう線にしたか
- 一枚語り 第2回 水道橋駿河台 — 名所を隠す名所絵
- 一枚語り 第4回 三婦艶 — 歌麿の三美人。顔だけ切り出して並べると違いが見える
- 冨嶽三十六景 全46図ガイド — 同じ頃、同じ絵の具で作られた揃物
- 葛飾北斎 — 90年、まだ足りないと思っていた人