武者絵の名作を追う 第5回 川中島——七十年で、同じ場面がこう変わる
同じ合戦を、三人の絵師が七十年かけて描いています。三枚目の落款には「故人春亭一跡 広重摸写」とある。死んだ絵師の図柄を写したと、自分で書いてある一枚です。
語り継がれた一瞬
川中島は、武田信玄と上杉謙信が信濃をめぐって何度もぶつかった場所です。絵師が繰り返し描いたのは、そのうち軍記物で語り継がれた一場面——謙信が単騎で信玄の本陣へ乗り入れ、太刀を振り下ろす。信玄は手にした軍配でそれを受ける。
この場面が実際にあったかどうかは、ここでは扱いません。絵師にとって大事だったのは、それが誰でも知っている型だったということです。連載の冒頭で書いたとおり、武者絵の客は筋を知っています。知っている型を、どう出すか。
一枚目——明和のころ、女の姿で
いちばん古いのがこれです。合戦の絵に見えません。
小川のほとりの縁台に女が二人。右の女が柄の長い団扇を突き出し、左の女が身をそらして受けている。団扇の面には赤い地に紋が入っていて、これが信玄の軍配にあたります。左の女が手にしている黒い柄のものが、謙信の太刀にあたる。
「やつし」というのは、格の高い題材を当世の姿に置き換える遊びです。武将を町の女に、軍配を団扇に、戦場を川辺の縁台に。元の場面を知っている人にだけ通じる仕掛けで、知らない人には涼みの絵にしか見えない。それでいい、という作りです。
色も淡い。緑と薄紫と朱で、血の気配がまるでない。武者絵として見ると異様ですが、明和のころの浮世絵は春信を筆頭にこういう気分でした。
二枚目——文化6年、俯瞰の大軍勢
四十年後。判型が中判から大判三枚続になり、視点が上へ上がりました。
画面のまん中を青い川が斜めに横切ります。左岸に弓を構えた列と旗指物、右奥には舟をつないだ橋と、そこを渡っていく行軍の列。手前では槍と矢が交錯して、倒れた武者が重なっている。右手に馬上の武将がいますが、画面を支配してはいません。
一騎打ちを大きく描く絵ではないのです。合戦全体を高いところから見せて、その中のどこかで二人が向き合っている、という作り。買った人は、画面を舐めるように見て人物を探すことになります。第4回の相馬の古内裏が三枚を一体で使い切ったのとは、まるで逆の使い方です。
空にピンクの雲の帯が横に流れているのが、この時期らしいところだと思います。凄惨な場面のはずなのに、空だけは春の色をしている。
三枚目——天保のころ、風景画家の合戦
さらに三十年あまり。描いているのは、東海道と名所江戸百景の広重です。
合戦図なのに、まず山が来ます。中央の水面は湖のように広く、対岸に灰色の山並みが連なって、その手前に松が一本。旗指物と甲冑がなければ、名所絵として通りそうな画面です。人物は小さく、代わりに地形が大きい。この人が風景で食べていた絵師だということが、隠しようもなく出ています。
色も違います。春亭の淡い青とピンクに対して、こちらは藍と朱をはっきり効かせている。旗の白、母衣の朱、水の藍。摺り比べ 第6回で見たベロ藍の時代に入っていることが、水の色ですぐ分かります。
「模写」と、自分で書いてある
この三枚目でいちばん驚いたのは、絵そのものより落款でした。左下にこうあります。
故人春亭一跡、広重摸写。
亡くなった春亭が遺した図柄を、広重が写しました——と、売り物の絵に堂々と刷ってある。「一跡」は、遺された仕事という意味です。現代の感覚だと盗作の告白に読めますが、当時はこれで署名として成立していたわけです。むしろ「あの春亭の図だ」と言えることが、売りになったのだと思います。
ここで気になるのは、二枚目の春亭とこの三枚目が、同じ構図ではないことです。川が画面を横切ること、両岸に軍を置くこと、奥に橋を通すこと——型は共通しています。でも山の形も、人物の配置も、旗の色も違う。広重がどの図を写したのかは、私には分かりませんでした。春亭も川中島を一図しか描かなかったとは限りません。
いずれにせよ、春亭が亡くなってから二十年ちかくたっても、その図柄が商品として通用したということです。売れた図柄を別の絵師に描き直させるのは、版元の側から見ればごく普通の判断でした。
七十年で変わったもの、変わらなかったもの
三枚を通して見ると、変わったところがはっきりします。判型は中判から三枚続へ。視点は縁台の高さから鳥の高さへ。色は淡い緑と紅から、藍と朱へ。人物の数は二人から数百人へ。
変わらなかったものもあります。三枚とも川があります。三枚とも、決着を描いていません。湖龍斎の団扇は受けたところで止まり、春亭の乱戦には勝敗がなく、広重の両軍はまだ向かい合ったままです。
この連載で繰り返し出てくることですが、武者絵は決着の一歩手前を選びます。誰もが結末を知っている題材で、絵師が売れるのは、その一歩手前の緊張だけなのだと思います。
次回は、芳年の武者へ
第6回は月岡芳年です。血を描いた時期と、静けさへ転じた時期。同じ絵師の中で振れ幅がいちばん大きい人を扱います。
つづけて読む
- 連載の目次に戻る
- 第4回 相馬の古内裏 — 三枚続を一枚の画面として使い切る
- 摺り比べ — 同じ図の別個体を並べる連載
- 歌川広重 — 風景の人が武者を描くとどうなるか