明治の浮世絵
江戸が終わって浮世絵も終わった、と書かれることがあります。実際には、そのあとの30年ほどが、浮世絵にとっていちばん題材の多い時期でした。
描くものが、次々に増えた30年
汽車が走り、洋館が建ち、外国人が街を歩き、戦争が起き、新聞というものが現れる。絵師にしてみれば、見たことのないものが毎年やってくる時期です。上の一枚を描いた月岡芳年は、その数年前まで血の飛ぶ武者絵を手がけていた人でした。同じ絵師の同じ手が、機関車の煙突の形とクリノリンのふくらみを写している。
色も変わりました。輸入されたアニリン系の染料が入り、江戸の紅や藍にはなかった強い赤紫が画面に乗るようになります。明治の錦絵が「けばけばしい」と言われがちなのは、この色のせいでもあります。もっとも、当時の人にとってそれは新しい時代の色だったはずです。時代全体の流れは明治の浮世絵史にまとめてあります。この連載では、そこで駆け足だったジャンルを一つずつ立てて見ていきます。
連載の6回
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第1回 錦絵新聞——新聞が絵だった10年 — 事件を一枚の錦絵で報じた、10年しか続かなかったメディア -
第2回 開化絵——見よう見まねの汽車と洋館 — 屋根の消失点と地面の消失点が食い違う。その破綻ごと時代の記録になっている -
第3回 横浜絵——外国人を描くという新商売 — 開港の翌年から二年で、八百点余りの七割が出た -
第4回 戦争絵——最後の大量生産 — 宣戦布告の8日後に25種類。絵師は誰も戦地を見ていない -
第5回 引札——絵が、枠になっていく — 明治10年の一枚には絵師の署名があり、明治24年の一枚は真ん中が空いている
いちばん手が届くのも、明治です
明治の錦絵は摺られた枚数が多く、今も市場によく出ます。江戸期の名品に比べれば桁が一つも二つも違い、状態のいい一枚が現実的な値段で手に入ることも珍しくありません。手を出しやすい浮世絵でも、明治ものは入門の王道として挙げています。日本語で読めるまとまった解説がまだ少ない領域でもあります。
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- 明治の浮世絵史——文明開化から日清戦争まで — 30年の流れを一本で通した回
- なぜ浮世絵は廃れたのか — 終わり方の側から見た明治