明治の浮世絵 第2回 開化絵——見よう見まねの汽車と洋館
絵師は汽車を見ていません。洋館の中に入ったこともない。それでも注文は来る。その結果できあがった絵の、うまくいっていないところにこそ、明治のはじまりが写っています。
洋館の窓に、全部カーテンと人がいる
左の建物から見ていきます。石を積んだ二階建て、窓は上げ下げ窓、そのすべてに赤いカーテンが掛かり、ほとんどの窓から人が顔を出している。屋根の上には煙突が三本立っています。開化絵の洋館には、この「窓の一つずつに人がいる」型がよく出てきます。
実際の建物がそうだったとは考えにくい。むしろ、絵師にとって洋館とは「窓がたくさん並んだ建物」であり、窓が並んでいるなら人を入れたくなる、ということだと思います。日本家屋なら障子や縁側があって人の居場所が決まりますが、石の壁に四角い穴が開いているだけの建物では、人をどこに置いていいか分からない。だから窓に置いた。
屋根と地面で、消失点が違う
この絵のいちばん面白いところは、遠近法が半分だけ効いていることです。
ホームの屋根を支える柱の列は、右へ行くほど間隔が詰まり、屋根の上端も下がっていきます。ここは一点透視がきちんと効いている。ところが、その屋根の下に停まっている客車は、いちばん左のものといちばん右のものが、ほぼ同じ高さで描かれています。屋根は奥へ引っ込んでいくのに、列車は真横から見た図のまま横に並んでいる。同じ画面の中で、二つの描き方が同居しているわけです。
もうひとつ、手前の列車も見てください。
これは失敗というより、選択だったのだと思います。列車を斜めに置いて遠近をつければ、いちばん奥の車両は豆粒になる。せっかくの新しい乗り物が見えなくなります。買う人が見たいのは「汽車という物の全体」であって、正しい奥行きではない。だから横に並べた。浮世絵展の見方で書いた「絵師が何を見せたかったか」を考えると、この判断は筋が通っています。
八つの名所を、一枚に詰め込む
開化絵のもう一つの型が、これです。画面を窓のように区切って、名所を並べる。汽車、ガス灯、洋館、銀行、そして吉原。「文明開化」という言葉が指していたものが、この八つに凝縮されています。
面白いのは、選ばれた八つに新旧が混ざっていることです。蒸気機関車と、花見の舟と、妓楼が同じ列に並んでいる。当時の東京では、新しいものが古いものを置き換えたのではなく、単に隣に増えた。開化絵が伝えているのはその感覚だと思います。明治の浮世絵史で「明治は浮世絵の余生ではない」と書いたのは、こういうところです。
十数年で、線が揃う
同じ東京の名所絵でも、こちらは遠近法が最後まで通っています。トラスの斜材が奥の一点へ収束し、橋の上の人物も距離に応じて小さくなる。汐留の絵と並べると、十五年でここまで変わったのかと驚かされます。
描いた井上安治は小林清親の弟子で、師の光線画の流れを継いだ人です。清親が何をしたかは小林清親のページに書きました。西洋の作図法が、絵師の手に馴染んだ結果がこの一枚だとすれば、汐留の絵はその前夜にあたります。
ただ、線が揃ったぶん、汐留の絵にあった押しの強さは薄れました。窓という窓から人が顔を出し、赤い客車が画面を横切り、上端に燃えるような赤が引かれている——あの落ち着かなさは、作図が下手だから出ていたのではなく、見たことのないものを何とか一枚に収めようとした熱そのものです。私はどちらかといえば、そちらのほうが好きです。
安く手に入るのも、この一群です
開化絵は摺られた枚数が多く、今も市場によく出てきます。江戸期の名品と比べれば桁が違い、状態のいい三枚続でも現実的な値段で見つかることがあります。明治ものが狙いやすい理由は手を出しやすい浮世絵にまとめました。
買うときに気をつけたいのは、三枚続がばらばらに売られている場合です。開化絵は三枚で一つの街を作っている構図が多いので、真ん中の一枚だけでは汽車の頭とお尻が両方なくなることがあります。判型早見表に三枚続の実寸を載せたので、額を用意する前に見てください。
つづけて読む
- 明治の浮世絵(連載の目次) — 全6回の見取り図
- 第1回 錦絵新聞 — 新聞が絵だった10年
- 第3回 横浜絵 — 十年前、まだ幕末だった頃の「西洋がやってきた絵」
- 小林清親 — 線を捨てて影で形をつくった人
- 明治の浮世絵史 — 30年の流れを一本で